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24:翡翠の錯覚

 ハロウィンの長い夜が明け、スネイプはダンブルドアに見回りの結果を報告する。大広間の報告のため、すぐ近くに来ていた監督生のパーシーに聞かれまいとするように懸念していたことを伝える。
 だがそれに対しダンブルドアはもうこの話は打ち切りと言わんばかりの態度を取り、ディメンターに捜索が終わったことを伝えに行った。
 苦々し気に息を吐くスネイプだが、大広間を出る前にと杖を振る。ヘンリーを寝袋事浮かせると、まだ熱が下がっていないことに眉を寄せた。すぐに寄ってきたスリザリンの監督生にヘンリーの体調が悪いことを伝えてそのまま部屋に連れて行く。
 薬が切れた後のインターバルは本来もう少し短くていいものを念のためにと長めに取ってある。だからその間であれば薬を飲んでも影響はかなり少ない。
 だが今回のように効果時間内の服薬は体に負荷がかかりすぎる。緊急用の薬の様に反対の魔法薬が必要かもしれない、と寝袋から出して寝台に横たえる。ターコイズの髪紐が眼鏡に絡みついているのを見ると、それを外して共にサイドテーブルに置いた。

「せんせぇ?」
 不意に聞こえた声に振り向けばヘンリーがぼんやりと目を開けてスネイプを見ていた。顔色を見ようと、テーブルランプに辺りを灯す。温かな明かりがヘンリーを照らし……スネイプはその動きを止めた。
「リリー……」
 思わず出た声はかすれてほとんど音になっていない。薬の副作用のせいかヘンリーの瞳の色はハリエットの緑の瞳になっていた。赤い髪と緑の瞳と……そしてなにより彼女に似た風貌がスネイプの視覚を混乱させていた。
 違うと分かっているはずなのに、彼になかった翡翠が知覚を乱す。

≪君はずいぶんと彼を、ヘンリーを気に入っているんだね。それは……彼がリリーの色を持っているからかな≫
 ルーピンの言葉が頭に響き、スネイプはぼんやりしているヘンリーをそっと撫でる。


 いま手に触れているのは誰だ。ヘンリーだ。彼女の忘れ形見。彼女ではない。

 のどがカラカラに乾き、鼓動が耳元で鳴り響く。彼女は彼女であって、彼女は彼女ではなくて。そうだ、リリーが自分にこんな弱った姿を見せるはずがない。
 だけれども、彼女にはない赤い髪と、彼にはない緑の瞳が……。本当に自分はヘンリーを彼女の代わりに見ていないか。彼女を、ハリエットをハリエットとしてみているか。
 ハリエットは1学年の時から自分を慕っていた。好いていた。あの日、髪を耳にかけたあの夜……ヘンリーは顔を赤らめ、嬉しそうだった。寝ぼけていたとはいえ、最初のキスは彼からだった。
 彼が覚えているわけはないだろうが、それでも不意打ちで重ねた唇を彼は一切拒まなかった。貪るようなキスも、彼女の身体を欲する手を誤魔化すように体をまさぐるような手も、彼女は拒まなかった。
 だから、彼女は自分を好いてくれているのだと、確信を持っていられた。

 だが自分はどうなのか。彼女を愛している。ハリエットを……リリーを。ハリエットのスフェーンの輝きは彼女のものだ。リリーではない。ではヘンリーの赤い髪はどうだ。記憶にまぶしい彼女とヘンリーが重なる。
 ただ、そこに憎い男ジェームズの瞳が入っただけ。彼が目を閉じるとそこにいるのはヘンリーであって、リリーであって。
 彼女を重ねるなど、罪人である自分がしていいわけがない。それはスネイプ自身胸を掻きむしりたくなるほどわかっている。それではヘンリーは?ヘンリーを愛することはどうなのか。
 彼女を死に至らしめた罪人だ。彼女から親を奪うことになり、双子の片割れと暮らすことからも奪った。いくら彼女が自分を欲していたとはいえ、歩み寄るのはいいことなのか。
 わからない、とヘンリーを見下ろす。そもそもなぜ彼女は自分なんかを好きになったのか。彼女が見える未来で何か答えはあるのか。

『リリー』
 声に出さずヘンリーをかき抱く。大人しくされるがままのヘンリーは顔が近くなったことになのかへらりと笑い、スネイプをじっと見つめる。
『リリー』
 違う、違うんだ。そう誰に言うでもなくスネイプは自分に言い聞かせるように心の内で呟き、ぎゅっと縋る様にヘンリーを抱きしめた。
 今まで彼になかった色のせいでこれほどまでに心が揺らぐのか、未だあきらめ悪く彼女を想うのか。ハリエットに向けるどす黒い感情が不穏に揺らめく。違う、彼女を彼女としてみているだけで、彼女を彼女の代わりだなんて。
 自分のせいで傷つけ袂が別れた彼女。闇の魔術は彼女を引き寄せるどころか距離が開く速度が加速するだけだった。
 では彼女はどうだ。
 ハリエットはそんな自分を想ってくれている気がして、彼女が向けてくれなかった、自分が欲したものを無償に与えてくれて。
 違う、わかっている。わかっているんだリリー、とスネイプはヘンリーを強く抱きしめる。自分はハリエットの、ヘンリーの瞳の輝きに魅せられたのだから、重ねてなどないんだ、と必死に自分に言い聞かせる。
 ひどく醜い自分を恥じる様に、ヘンリーの胸元に顔を埋める。

 彼女ならこんな醜い自分を受け入れてくれるのではないか。そう打算的な想いではない。本当に彼を……彼女を。
 だけれどもそこに“リリー”の姿がなかったとは言い切れない。
 言い切れない。
 あぶなっかしい彼女を愛しているのだ。
 愛しているのだ。
 
 混乱し、疲れ切った頭にヘンリーの甘い様な心地いい匂いが染み渡る。そしてそれは獰猛な、野蛮な欲望が思考を染めていくトリガーでしかない。





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