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40:闇を抜けて
さぁ、この先に最後の試練がある、とダンブルドアが示すと、そこにはどこかで見たような扉があった。それは幼い頃のわずかな家族の記憶か。あるいは初めて来たホグワーツの部屋の扉か。それでもこの先に彼女がいる、と一歩踏み出した。するりと足元を何かが通った気がして視線を落とせばハリエットのパトローナスが細い体を左右にこすりながら先導している。
あぁ、行こう。扉を開き、スネイプはその中へと足を踏み入れた。
「さて、ようやく邪魔者は消えたなアルバス」
「そこにまだトムの魂の残がいがあるじゃろう」
やっと役目は終わりだ、とダンブルドアの髪で作った腕輪を揺らし、グリンデルバルドはヴォルデモートの残がいを無視してベンチに座る。さすがに気になるのじゃが、というダンブルドアの言葉は黙殺された。
「さぁ積もる話でもしようか、アルバス」
暗い世界を進むスネイプの足もとをパトローナスが白く照らす。進んでいくと青い薔薇が落ちていることに気が付いた。拾い上げるとすぐ近くに飛び跳ねた髪の青年がむすっとした様子で座り込んでいる。
「スネイプの奴……僕を置いていったな」
ぶつぶつと文句を言うハリー=ポッターを見て、スネイプはため息をつきスパン、と頭を叩く。いった!と顔を上げたハリーはきょとんとしたあと、スネイプ!?と驚き、喉元を見て顔を見て、貴方でしたかと息を吐いた。
「ハリエットにはハリエットの魂がある。だがそこに未来から来たポッターの魂が張り付いた。そしてそれは無遠慮に彼女の魂を押し、そしてはみ出た不安定な部分が……クィレルを殺したことでちぎれてしまった。やがてポッターの魂とハリエットの魂は複雑に絡み……彼女の死と共にほどけた。大方そういう事だろう」
立ち上がったハリーは闇払いの制服を着ている。スネイプの言葉にだから“僕”というのがぬけなかったのかなとハリーは笑う。
「君は君の世界に戻りたまえ」
「え、でも僕あちらの世界では死んで……っ」
気が付けばハリエットのパトローナスはこちらに用があるという風にハリー=ポッターの足元にいる。戸惑うハリーは誰かに呼ばれた気がして別の闇に目を向けた。
「ほう、それは誰が確認したのだね?こちらにいる誰が、死んだからこちらに来たと断言できるというのか。それならばあの声は何だというのかね?」
「ジニーの声だ」
死んだと思っていた、とハリーは呟きスネイプを振り仰ぐ。その目はハリエットに似ているが、やはりハリー=ポッターはハリー=ポッターだ。
「ハリエットのパトローナスが案内するだろう。いきたまえ」
ハリエットのことは私が請け負う、とハリー=ポッターの肩を押し、その手に薔薇を押し付ける。青い薔薇に戸惑うハリーをそのままに、スネイプは彼女の気配を追って歩き出す。
青い薔薇が散り、花弁がハリーを包み込む。バラの花びらを介してわずかながらにスネイプの力を、この世界のハリーからと思われるごくわずかな魂の力を受け取ったハリーはわき目も振らず走り出した。あっという間に見えなくなり……スネイプは相変わらずの様子に20歳になったのではないのかと呆れてため息を吐く。
「まさか会うことになるとはな」
冷たい声が聞こえ、スネイプは振り向く。そこには腕を組んで立っている、自分と同じ顔の男がじっとスネイプを睨みつけていた。おそらくは置いていったと愚痴っていた先ほどのハリーを迎えに来たのだろう。いつだって彼は一足先に何か事を起こし、走り回っていた。
「間に合うのであればさっさと行くがいい」
腕を組むスネイプは自分自身ですらわからない表情で、じろりとスネイプを見る。本当に自分は不器用なのだな、と思いつつ言われなくとも、と返してダンブルドアの言葉を思い出した。あの時は情がわいたのか、という問いに違うと答えたが……結局は自分はハリエットを愛していたがためにある意味ポッターへの情という事でいいのだろうか。
「走っていったあのポッターに情がわいたのかね?」
こんなところまで付き添うなんて、ハリエットがいない自分ではどうしていたかなど今更想像することすらできない。
「あのポッターは嫌いだ。すぐどこかに行き、面倒ごとを引き起こす。挙句、それをカバーしに来た私を勝手に勘違いし、憎む」
「あぁ。確かにそれはずいぶんと腹立たしい限りだ。なるほど、こちらのポッターは彼女がある程度抑えていたこともあってか大分ましなのだな」
あんな面倒なジェームズの生き写しに情がわくわけがない、と吐き捨てるスネイプにスネイプは同意し、こちらの……双子の片割れがいるポッターを思い浮かべた。あちらのスネイプもどこまで知っているのかわからないが、こちらのはだいぶましだ、とそう同意した。
「好意の反対は無関心と聞いたが、そうか。嫌いなのだな」
「そうとも、嫌いだ。死んでからも十分休めた気がしない」
視線を交わし、あちらのスネイプは走っていった馬鹿者を追いかけ、こちらのスネイプも歩き出す。
「「せいぜい振り回されることだな」」
走っていったポッターに、そして勘違いして突き進んだポッターに。きっとジェームズやブラックなどであれば拳を突き合わせるだろうが、あいにくそんなことは毛ほどにも考えられないスネイプはそのまま振り返ることなくお互いの守るべきもののもとへと向かっていく。
そう、彼と違ってこちらはまだ……彼女を、愛するものを守る体があるのだから……こんどこそ、最愛の人との離別を防がなくてはならない。
すべてが闇に包まれるスネイプは構わず進み……あの忘却呪文のような白い光に思わず顔をそらした。目が慣れてきて見えたのは巨大な天秤に乗せられた二人の姿と、辺り一面に広がる海と自分がいる草原のような崖だった。片方はどこか困った風の女性が座っており、もう片方はうずくまっているようでわからない。
「リリー!」
困った風にいるのはリリーで、反対側には黒い髪の少女が花冠を頭に乗せ、ぐったりと眠っている。片方を助ければすぐさま天秤は傾き、残された方が真っ逆さまに落ちていくだろう。リリーは自力で動けないのか、座ったままで……。黒い髪の青年は天秤の前まで来るとじっと二人を見つめた。
リリーを助けなければ、とそう思うのに足は動かない。黒い髪の少女はどこか憎たらしい男に似ていて……青年は知らない少女よりもリリーをと思うのにやはり動けないし、彼女から目を離すことができない。一歩、リリーに向かって足踏みだし……足元を見る。踏んでしまったのはスズランで、黒く汚れた花弁に思わず触れる。
こんな花、どうだっていいだろう、とわかってはいるのにどうしても放っておけない。再び少女を見つめ……ハリエット、と唇を動かした。
最後にこんな試練、何と意地が悪いのか、とスネイプは深々とため息をつき……眠っているのか、それとももう動かないのか。横になったハリエットは目を覚まさない。頭を包む花冠だけがさわさわと静かに揺れている。胸に抱いた違和感を無視してリリーを助けたならば……ハリエットは永遠に戻らないだろう。だがもう忘れはしない。
「リリー。僕は君を愛していた。いや、愛している」
周囲の状況にふさわしくない穏やかな風を感じ、スネイプはリリーを見た。記憶にある通りのリリーに何度胸を焦がしたか。だが、彼女がそばに来て、愛情を与えてくれて……スネイプの中にまだ新しい愛を持つことができるのだと、教えてくれた。
枯らした芽ばかりを見ていたスネイプの心に、静かに芽を出していたそれはいつの間にかリリーを超えるほどに大きくなっていた。リリーは何も言わずじっとスネイプを見る。
「だが今、未来を共に歩きたいといえるのは……君の大切な娘のハリエットだ」
スネイプの言葉にリリーはそっと微笑む。それにぎこちない笑みで返すスネイプはハリエットを見ない。まるでリリーを目に焼き付けるかのようで……。一歩スネイプはハリエットの方へと足を進めた。その音を聞いてリリーは静かに目を閉じ……グイっと掴まれた腕に驚いて目を開けた。軽くなったことで天秤が傾く。
「すまない、リリー」
乱暴に扱って。その言葉と入れ替えるように、崖の上に投げ出されたリリーを別の影が支え、振り向いた先で落ちたハリエットの後を追うスネイプの姿が崖から消えた。
リリーを引っ張った勢いで飛び出し、落ちていくハリエットの足を掴む。そのまま引き寄せるようにして……彼女の頭を腕に抱え込んだ。リリーをこの崖に落とすわけには行かなかった。それは自分ができる最後の……彼女への想いと、謝罪だ。ぐったりとしたハリエットは動かない。だが、どこか温かい気がして、スネイプは額に口付けを落とした。
君がいなければ幸せになどなれるはずがない、とスネイプはハリエットを抱きしめる。せめて水面に叩きつけられるのは自分で、彼女には傷一つつけたくない。
目前に迫る水面から目をそらし、抱きしめたハリエットをのぞき込んで口づけた。花嫁が頭につける花冠は……彼女を本物の花嫁にしたように、優しく揺れる。
いつまでも来ない水面に目を開け、辺りを見回すと頭上にぐんぐん近づくのは青い空で、足元のはるか下の方には広い草原が広がり、リリーとジェームズがスネイプたちを見上げている。
『ハリエットをよろしくね!セブ!』
『本当は嫌だけど、ハリエットが選んだのはお前なんだスネイプ!』
遠く離れているというのに二人の声は明確に聞こえ……スネイプは任せてほしい、とハリエットを抱きしめなおした。花冠が光に包まれ、スネイプごと包み込む。
どさっ、と地面に投げ出され森のざわめきが耳によみがえる。いつも羽織る上着の中に暖かなものが見える。黒い上着に紛れるように、艶やかな黒い髪がわずかに身動いだ。
ぎゅっと抱きしめすぎてこわばった腕を緩めると少女の瞼が震え、2つの宝石がスネイプを至近距離で見つめる。強いファイアを秘めた、ハリエットだけのスフェーンの輝きがぱちぱちと瞬いてスネイプを見つめた。
「んっ……あれ……せんせい?」
「ハリエット!!」
もう何度喉の奥で出しそびれたことか。彼女の名前を呼びたくて仕方がなかったスネイプはぎゅっとハリエットを強く抱きしめる。え?と驚いている様子のハリエットは首を巡らせ……森にいることと、ハリーをはじめとした騎士団員がいることに気が付き……目をしばたたかせた。
「ハリエット!」
叫ぶような声と共にハリーが駆け寄る。すぐそばにハリーの顔が現れ……ハリエットは訳が分からずどうしたの?と繰り返す。
「えぇっと状況が……」
「いい加減ハリエットを放せ!これじゃ再会のハグができないだろうが!」
戸惑うハリエットにシリウスの声が響く。その言葉でハリエットは再びスネイプを見て、先生?と問いかける。返事はないが規則正しい深い呼吸にハリエットはえーと戸惑い……スネイプを揺する。
「えぇっと……先生寝ちゃったみたい……。すごい隈!え?本当に何があったの?それに……ええ!??ちょっとやだ嘘でしょ?」
訳が分からない様子のハリエットはスネイプが深い眠りに落ちていることと、その目元の隈に驚き……そして何があったのかうわわわと奇声をあげる。
「エマンシパレでどうにかなるかな?」
「ダメ!今ダメ!!その、えっと……何が何だかわからないんだけどその」
縄じゃないけど拘束を解く呪文、とルーピンの声の声が聞こえてハリエットは慌ててダメと叫ぶ。どうしたんだ?という声に来ないでとさらに声を上げた。
「蘇ったことで何かあったのかしら」
まったくもう、と涙をぬぐうハーマイオニーの言葉に何だがハリーは引っかかって……はっと顔を上げた。
「ヴォルデモートと似た状況なら……あーとえーと、誰かハリエットに服!あいつも鍋から出てきた時全裸だったんだ!!」
「ちょっと恥ずかしいこと大声で言わないでよ!ほんとデリカシーないな!似た状況ってなに?鍋からでてきたってこと?」
鍋の中から出てきたヴォルデモートを思い出したハリーが慌ててスネイプの上着を抑えるようにして森中に響くように大きな声を出す。顔を真っ赤にして怒るハリエットにシリウスらはポカンとして……慌てて背を向ける。呆れた様子で前に出てきたマクゴナガルが杖を振るとスネイプの上着がするすると動き、ハリエットの体に巻き付いてドレスのようになる。
「エマンシパレ」
続けて唱えられた呪文によってスネイプの腕が緩み、マクゴナガルの手を掴んでハリエットは立ち上がった。そのまま今度はマクゴナガルに強く抱きしめられ、ハリエットは何が何だかわからず、えぇっとただいま?と首を傾げた。
「本当にこちらの気も知らないで!!あなたのおかげでどれだけ寿命が縮んだことか!」
怒りながらももう放さないという風な腕にハリエットはぐるりとあたりを見回して……今いつ?とハリーを見た。
「もう先月に大戦は終わったよ」
もう全部終わったんだ、という言葉に目をしばたたかせてシリウスがいることと、ムーディがいること、そしてリーマスとトンクスがいることにほんとうに?と声を震わせた。
マクゴナガルの抱擁から解放されたハリエットに、今度はハーマイオニーとハリーが張り付く。ちょっと、と戸惑うハリエットは傷のない右腕でハリーを抱きしめ、左腕でハーマイオニーを抱きしめ返す。
あぁ一度消えてしまったのか、と目を閉じる。どうやって戻ってきたのか何もわからないがそれでも……そう考えたところでハリエットは首元に何かうごめく物を感じて肩より下にある髪に手を入れる。出てきたのは不死鳥の雛で……ハリエットはあの炎の卵を思い出した。
「ハリエット!!」
ようやく俺の番だ、とハーマイオニーが離れたところで両手を広げたシリウスが笑顔で近づく。それをハリエットはダメ!と鋭い声を上げて静止した。
「いや、シリウスが嫌いとかじゃなくて……その……この下何もその……」
落ち込むシリウスにハリエットは違うんだ、と首を振ると顔を赤らめて胸元に手を置き、おろおろと口を開く。思わず固まるシリウスをどかし、マクゴナガルは目元を拭って前に出る。
「まったく。さぁ城に戻りましょう。セブルスもいつまでもそこに置いておくわけには行きませんからね」
運びやすくしましょう、と杖をふるえばハリエットとスネイプは黒猫の姿になり、マクゴナガルが二匹を抱える。ぞろぞろと去っていく森の奥には少しくぼんだ地面がわずかに湿っているだけで、あの泉はもうない。
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