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35:彼女の軌跡
一瞬どこにいるかわからず……すぐにハリエットの私室であることに飛び起きようとして思わず呻く。どこからともなく現れたのはあのおかしな屋敷しもべ妖精のドビーで、お目覚めになりましたかと、動こうとするスネイプを宥める。
「今は……」
ひどく声を出すのもおっくうでいると、ドビーは水差しから水を汲み、ストロー状の飲み口から水を飲ませてきた。それでようやく喉の渇きを思い出し、コップでいいといえばすぐにコップに差し替えて水を出す。それをどうにか飲んで再び横になればドビーは一週間経ちました、とスネイプの疑問に答えた。
「お嬢様との約束で、ドビーたちは生徒をできる限り守り、そして城を守るため戦いました。最後はハリー=ポッターが例のあの人を打ち倒し、闇は消え去りました」
目覚めたばかりのスネイプに配慮するようにできるだけ声を落として話すドビーはきょろきょろと部屋を見て……お嬢様は戻ってきませんでした、とぽつりとつぶやく。
「マクゴナガル教授にスネイプ校長が目を覚ましたと伝えてきます」
ぱちりという音ともに消えたドビーにスネイプは何も言えず、ゆっくりと体を起こし、改めて部屋を見回した。寝台の隅にはきちんと畳んだ服があって……品質を保つための瓶が空になって転がっている。これにポリジュースを、と考えたところで足音が聞こえて扉が開く。
「あぁセブルス!目が覚めたのですね。あなたにどう言葉を尽くしても足りないほどの誤解を……。あぁ、起き上がらない方がいいでしょう。あなたは……叫び屋敷で倒れていたのです。それからずっと眠り続けて……」
飛び込んできたマクゴナガルは起き上がろうとするスネイプを制し、憂いを含んだ目でじっとスネイプを見る。治療したと思われる傷がまだ少し残っている老魔女はなぜだか一気に歳をとったような気がして、言葉が詰まるスネイプはただ黙って見返すしかできない。
「ヴォルデモートが倒れた後、ミスターポッターに言われ、貴方を迎えに行きました。倒れているあなたを見た時、何かあったのではと思いましたが気絶しているのだと気が付いてほっといたしました。あぁ、あの子が着ていたあなたの服はそこに」
一気にまくしたてるように経緯を話すマクゴナガルはそこで一息つき……たたまれた予備の服であったはずの黒衣に目を落としたまま、いつ入れ替わりました?と問いかける。
目覚めるまでみていた彼女の……かつての記憶と思われる夢が頭をよぎり、スネイプは何と返せばいいのか迷うように息をのんだ。どのタイミングで彼女が自分に成りすましたのか。
「貴方が逃げた時、私がなんと叫んだのか……覚えていますか?」
静かな声は震えていて、スネイプは夢を思い出す。あの時ミネルバは何と言っていたか。
「卑怯者……ですかな?」
「いいえ、裏切りものと。やはり……あの時私が杖を向けたのは」
首を振って違うというマクゴナガルはそのまま俯き、手に持ったハンカチを目元に押し当てた。ハリエットが勝手にやったことだ。そう、身勝手に、周りの迷惑も考えずに……。
血濡れたハリエットと、消えた瞬間が頭をよぎり、スネイプは胸元を握り締めるように強くつかみ、歯を食いしばる。マクゴナガルの嗚咽だけが部屋に残され、二人は何も言葉を出せず黙り込んだ。
しばらくして、顔を上げたマクゴナガルはまだ外は落ち着いていないからとこの部屋にいるように言い……そうだ、とスネイプを見る。それを見たスネイプはわかっていると頷き口を開いた。
「ホグワーツ校長として、全権限を副校長ミネルバ=マクゴナガルに委譲することをここに宣言する」
まだ校長としての権限があるスネイプがそう伝えると、マクゴナガルはようやく小さく微笑んで、また後で来ますと扉を閉じた。
残されたスネイプは眠り続けたせいですっかり怠けた足を叱咤し、そろりと起き上がり……ぐるりと部屋を見回した。
薔薇の髪飾りにスフェーンの原石。何度も読みこんだのかすっかりくたびれた様子の……魔法薬に使う材料の取り扱いの本。そこにスズランのバレッタを見つけてそっと手にとる。記憶を失う前に……ハリエットと別れる前に購入したバレッタ。彼女に渡さねばと書いては捨てたメッセージカード。次の誕生日にこそはと箱に詰めて……引き出しにしまったままそれすらも忘れてしまっていた。
シークはそんなの想いに気が付いたのか、あるいは主人へのプレゼントであることを感知したのか。勝手に配達したがきちんと届いていた。
大切そうに布の上に置かれていたことに戻そうとして、その布を広げる。かつてビオラがあの双子の作った罠に落ち、そしてケガを負った。あのとき、野生の鹿であると考えながらも足にまいたハンカチを彼女はずっと大切に持っていたらしい。
思えば……あの子に会ったのはもっと前だ。出かけてくるといったマクゴナガルが血相を変えて小さな女の子を抱きかかえて戻ってきたあの日。何があったのかと見送ったのは……ハリエットだったのだ。
それからアニメーガスを習得したのか。初めは怯えていたビオラが次に会った時は無遠慮に鼻をつけてきて……。そして双子の作った悪戯グッズの試作品と思われるものに引っかかってけがをした。
視線を動かせば本の巻末に挟まっている栞に気が付き、それを引き抜く。いつだったか、ビオラの耳元に挿しこんだシュウメイギクの花がきれいに加工され、何の変哲もない羊皮紙の切れ端に張り付けられている。
彼女は自分が送ったたわいものないものを、こんなにも大切に保管していたことに胸が苦しくなる。机にはほかに壊れたピンキーリングの残がいと、イヤリングの破片が置かれていた。壊れてしまったのか、と思うと同時に、壊れてもなお彼女は捨てられなかったのだと、彼女が自分を思う気持ちが想像以上でスネイプは何かを沈めるように大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
ふいに……ブレスレットが光った気がして、目をやると今度は視界の端で何かが一瞬光る。振り向けば扉のしまった本棚で何かが光っている。
本棚に手を触れるとカチャリという音ともに開錠され、スネイプはゆっくりとガラス扉を開いた。もう光はどこにもなく、ただ、無意識に惹かれるように、一番古い日付の本を手に取った。
幼い字で今日から日記をつけるんだ、と書いてあるのを見て、これはハリエットの日記だとスネイプは黙ってめくり続けた。いまさら遅いことではあるが、ハリエットのことを知りたかった。
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