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10:イラクサの椅子
ポンフリーから渡された本には緊急時に行う魔力の譲渡方法が記載されており、スネイプはじっくりとそれを読み込んだ。大事なのは譲渡する側が渡せるのは魔法薬などで増長した魔力や体力ではなく、あくまでもその人自身がもつ自然の分量だけだという。
健全な生活を行い、貯めたそれらを譲渡することができると。渡すために無理やり魔法薬などを使い増やしたとして、それは当人の許容できる量を超えた時点で無駄になるらしい。飲みながら渡せばいいのでは、とページをめくれば相手が一度に受け取れる上限が個人差はあれどあるため、ほとんど無駄になると、そう記載されていた。
彼女に自分の物を渡すのであれば、できる限り健康的な生活を送り、蓄え、そして渡す。それしかないのだ。だからポンフリーは薬の生成をスラグホーンに依頼したのだと、本を閉じて大きく息を吐く。
ハリエットの為に行うとしても本を読みながらという事はできない。だからここで理論を覚え、ぶっつけ本番でやるしかなく、渡し過ぎた際の気絶という最悪の状態を避けねばならない。
彼女を守りたい、ただそれだけだというのにこんなにも壁がいくつもあるとは思わず、目を閉じる。明日、正式に公表されるという事は予言者新聞にも載るだろう。
彼女のそばに自分がいると、そう伝えることは可能か。もちろん、彼らには裏切り者としての認識を覚えていてほしいが、ハリエットのことを気にせず、事を進めるよう促すためには……。ちらりと腕についたブレスレットを見る。いつもならば袖の隠れているブレスレット。
ハリエットの親友であるマグル生まれの少女を思い浮かべ……一か八かの賭けだ、と拳を握った。ふと魔力を渡す感覚、と思い立ちハリエットの髪紐兼ブレスレットの装飾としてついている石に少しずつ力を籠める。
かつて守りの力を込めていた要領でためし……ふっと力を抜いて石をなぞる。ふと、違和感を覚えるも思い出せない。些細なことだろう、と傷一つないブレスレットを袖に隠し、少しの休憩をとる。
傍らにスズランの甘いような香りを覚え……まるでヘンリーを抱きしめて眠ったあの時の様に、ほんの少しの休憩が体を癒す。
“先生”
優しく呼びかける声が聞こえた気がして、何かが手に触れる。握り返せば細い指を感じ……夢だとわかっているスネイプは声に出さずに最愛の花の名を呟いた。
翌朝、記者を交えての発表に右の袖についたボタンをはずして応じる。目ざといグレンジャーならばブレスレットに気が付くだろう。ヘンリー事ハリエットは私が見ていると、そういう意味合いを込めて。
かつて恩師とし、そして一時は敵対し、最後には自信すらも駒とするプレイヤーであった偉大なる魔法使い。その玉座であり、居場所であったそこに腰を下ろす。満足そうに見える様、傲慢にも見える様、無表情を装う顔を偽りに歪め。
スネイプがハリエットの為に動いていることを知っているのはポンフリーとスラグホーンだけで、他の教員は知らない。捕虜である彼女を闇の帝王の為に逐一の直しているにしてはやけに秘密めいていることから何かあるのではと、二人は何も言わずにスネイプを見る。
校長室に向かう途中、名前を呼ばれたスネイプは面倒だという風にゆっくりと振り返り、マクゴナガルを見る。面白がるようなカロー兄弟をみて、何の用ですかな?とその場で応じようとスネイプは足を止めた。ハリエットについて尋ねたいのか、それともダンブルドアについて尋ねたいのか。
そのどちらともいえる表情にアミカスが興味を持ちそうな気配を感じ、何もないならばと踵を返そうとして……あぁそうだと足を止める。
「今後の教育方針などについてはこちらから通達する。それまで不用意なことはしないよう、ご忠告申し上げる」
副校長としての問いかけと受け取り、そう言い残して足早に去っていく。ハリエットとの会話で確か、彼女の乳母的な存在の屋敷しもべ妖精がいたはず、と思案し……口の中で呟くように合言葉を言うと校長室へと足を踏み入れた。
カロー兄弟はついてこなかったようで、ひときわ大きな肖像画を前にほっと息を吐いた。
「スリザリン出身のものが校長とは実に素晴らしい!」
高揚とした声はブラック校長の物だ。お褒め頂きありがとう、と頭を軽く下げ、大きな肖像画の前に立つ。
「上々の出来じゃなセブルス」
計画通りだと頷くダンブルドアを前にし、軽く怒りがこみあげてくる。どうして彼女の記憶を消したのか。
「6つ目の花が咲きました」
短く伝えればダンブルドアは戻ったのか、とつぶやくと目をつぶり知っておると頷く。そのためにムーディには既に今後の役割についての手紙が届いているだろう、とスネイプに伝え……すべては順調じゃ、と青い目をスネイプに向けた。
「セブルス、もし彼女の記憶があれば7人のポッター計画は立案しなかったじゃろう。それはなさねばならぬ重要な事柄じゃ。それゆえに、彼女は記憶を消してほしいと頼んできたのじゃ」
だから消したのだとそう告げるダンブルドアにスネイプは顔をそらす。大事な、大事な記憶。彼女を想い、彼女に想われた時間。懸念の通りであったがそれでも、
「ハリエットはどれだけの間眠っていましたか?」
救急に運んでから彼女の記憶を失い、彼女がどう過ごしたのか。その空白の時間を尋ねると2週間ほど後に目を覚ました、とダンブルドアは答える。足のリハビリは恐らくブラックが手伝ったのだろう、と犬というちょうどいい高さになれる男を思い浮かべ、スネイプは眉をしかめた。愛する彼女を看病することも、心配することも何もかもができなかった。そのことが悔しく、歯がゆい。
「今ハリエットを助けられるのはおぬしだけじゃ。じゃが、それによって他のものが見えなくなっていかん。それではハリエットが君の記憶を消す選択をした意味がなくなるのじゃよ」
君は君がなすべきことをこなすこと、というダンブルドアにわかっております、とスネイプは不承不承に頷く。
今は生徒のためにも、魔法界の為にも、そして何より彼女のためにも……怪しまれず闇の信用を得ることを優先しなければならない。だから……今は耐えるしかない。
「ハリエットは……必ず助けが来る。その時がくればかならずや彼女は今の状況から脱することができるじゃろう」
必ず、と断言するダンブルドアにスネイプはそれまで耐えろと?と拳を握り締めた。
「4つ目の花は、わしにすべてを書き記した手紙を渡した際に咲いたものじゃ。ミスターディゴリーの件で未来を変えずに未来を変えるため、必要な処置をと。ただ、彼女とてずれることはある。先ほど6つの花と、そういって言っておったことから、助けられなかったかあるいは未来を変えたというタブーに触れなかったか。次の7つ目の花はハリエット自身どう行うべきか決めかねていたのじゃろう。もちろん、彼女とて危険な道を行くのではなくより考えた方法であったはずじゃが、今の状況を打開するためにはその花が必要じゃ」
ダンブルドアの言葉にスネイプははっといて、真実薬を飲んでしまったハリエットのことばをおもいだす。
“これは必要なことだったので”
未来を変えるという事はすなわち、本来そこにいないはずの人間がいるという事になり、そのものの行動一つで未来が代わってしまう可能性があるという事。だから、ダンブルドアに彼女は伝えたのだ。
ハリー=ポッターの欠点として感情に振り回されがちだというのは見て居ればわかる。ハリエットもその点は十分わかっているのだろう。なぜならば……シリウス=ブラックはハリー=ポッターの愚かな考えと感情によって死ぬはずだったのだから。
転生者として生まれ変わってきたという事は……彼女が命を削ってまで助けた者の死を彼女は見てきたという事だ。大人になって振り返るにつれ、なぜあの時こうしなかったのか……。それはスネイプも時折リリーのことで思うことがあったのだから理解できる。
今回はグレンジャーのような頭が使えるものがそばにいない。だからこそ、ハリエットは変えた先の未来を変えないために手助けが必要だったのだ。それも、絶対な影響力のある者の手が。自分にはできないことをダンブルドアが引き受けた。そういう事だ。
ならば自分のできることは……。
「わかりました。彼女を信じておりますゆえ、7つ目の花が事態を打開できると、それを信じて今は私にできるサポートを行いましょう」
今度こそ彼女を信じると決めた。言葉や行動ではなく、彼女の魂そのものを信じる。あの時怒りに任せて叩いてしまった頬と、彼女のくれた時計を壊した自分にできる精いっぱいの償いだ。
ふと、あの店主がメッセージについて何か言っていたはずだ、と思い出すスネイプは壊れた時計を思い浮かべる。彼女は一体何を自分に伝えたかったのか。まだそれを確認するすべはあるのか、と校長室を出て自室に下がる。鍵を開けようとして……拳を握った。
彼女が脱出できたときに確認しよう、そう願いをかけて。
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