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6:秘密の合図

 スネイプは懐にありったけの魔法薬を持ち、ヴォルデモートの召喚に応じて膝をつく。さっと目だけを動かし、転がったいくつかの小瓶を見て閉心術を強める。
「逃げ隠れていたようだが、どうやらその身をもって対価を支払っていたようだ。だが、よがり狂うさまは哀れで実に愉快だ」
 暇をつぶすのには最適だ、と嘲笑うヴォルデモートはまた誰か死喰い人から奪ったか、あるいはオリンバンダーの店から持ってきたのか……杖を振って跪くスネイプの前にそれを落とす。がちゃりと鎖の音が聞こえ、タイルしか見えなかったスネイプの視界に白い手が映り込んだ。

「俺様はこれから外出する。戻るまでにそれを直しておけ」
 そういって部屋を出ていく主をスネイプは恭しく見送り……悲痛な思いで投げつけられた“それ”を見た。床に転がっているのは恐らくは媚薬や精力剤の類だろう。徹底的になぶられた姿にスネイプは手を伸ばしかけ……ぐっと拳を握って杖を使って浮かせる。だらりとした手足は死喰い人らにいたぶられたせいか、赤黒くなっていて痛々しい。

“先生の手って大きいんですね”
 そう合わせた手は今や折れ曲がり、爪は残らず割れている。どこにどんな目があるのか。ナギニは今どこにいるのか。それが分からないために……スネイプは手に触れることすらできなかった。


 ハリエットがいたのは元はルシウスか、あるいはナルシッサが使っていた部屋だろう。寝る必要はないと聞いているヴォルデモートだが、最も豪華な部屋を欲したか。
 部屋に備え付けのバスルームに入り、ハリエットを冷たい床に置いてバスタブに湯を張る。そこに魔法薬をいくつか流し込み、一つ瓶を手にしてハリエットにかがみこむ。

 目は変わらず閉じたままで、呼吸が荒い。ハリエットが今まで常用してきたあの薬は通常の媚薬と相性が悪いことをスネイプは知っていた。だから彼女に飲ませたり食べさせたりしてきたものはどれも効果が弱いものばかりで、すぐに効力は切れていたため問題はなかった。
 だがそれはスネイプ以外誰も知らない。容赦ない所業で無理やり服用させられたハリエットにはかなりの負担だろう。だから魔法薬を無効にする魔法薬を飲ませたいが、ハリエットは飲んでくれるだろうか。目を覚ましたのか、どこか怯えた様子からスネイプがそばにいることに気が付いている様子はない。

 震えそうになる手を伸ばし、ハリエットの体を抱き起す。薄い背中にスネイプは今すぐ抱きしめたいのを堪え、口に瓶を当てた。ぎゅっと引き結ばれた口が明らかな拒絶を示していて……スネイプはどうするべきか、と思案するも妙案が浮かばない。ただ、怯えているハリエットの体力と、回復に回していると思われる魔力の消費を考え、どうにか受け入れてもらわねばとスネイプは考えろ、と目を閉じた。

 声をかけてやりたい。自分だと、そう教えてやりたい。だがもしも、もしもその声を誰かに聞かれたら?今はバスルームに移動したことで見られる可能性は少しは減った。だが、本当に?ハリエットの為に行動し、その結果スパイだとばれてしまえば彼女の知る未来とはかけ離れてしまう可能性がある。
 それではハリエットの命が危ない。だからこそ、慎重にならねばならない。
 
 どうしたものか、と悩んでいるとふと思いつき通じてくれ、と祈るように床におろしたハリエットに手を伸ばす。
 2回鼻先を指で叩き、唇を撫でる。それを繰り返していると怯えていたハリエットの体から力が抜け、戸惑うような様子を見せた。辛抱強く繰り返すスネイプが唇を撫でようとするとハリエットはちらりと舌を出してその指先を舐めた。
 すりっとわずかに顔を寄せるハリエットにスネイプは思わず手を伸ばし、短くなった髪を梳くように撫でる。ビオラがビオラであることを示すときの鼻先で2回突っついて舌で舐めるという二人だけの合図が通じ、ハリエットは素直に口を開いてスネイプの魔法薬を飲み込んだ。

 すぐに荒い息は止まり、疲れ切った様子のハリエットはじっとスネイプの指示を待つ。ふっ、と息を吐き、吸い込む時間を空けてハリエットの唇に指をあてる。3度繰り返すとハリエットも同じように息を吐き、息を大きく吸い込んで息を止めた。
 それを見てから素早くハリエットを浮かしたスネイプは……万が一に見られても大丈夫なようにと少し乱暴な様子でバスタブにハリエットを沈めた。
 必死に息を止めるハリエットだが、きっと魔法薬が体に染みて痛いだろう、と無理やり入れている風に装いながらハリエットの限界を見てバスタブから引き上げる。もう一度だ、と息を吹きかけて唇に当て……弱弱しく動くハリエットが再び息を止めた。それを見てもう一度バスタブに沈めて体中の表面の傷を魔法薬で治していく。

 どこまで治すべきか。それも見極めねばならず、スネイプはバスタブからハリエットを引き上げて床におろした。完璧に治してやりたい。すべての痕跡を拭い、最後まですべて。だがそれを……死喰い人でありハリー=ポッターを嫌う自分が行うだろうか、ともしもを想像する。
 朦朧としている様子のハリエットを見て、指先を見つめる。半分ほどしか治っていないのはハリエットの体力がつきかけているせいだ。


 魔法薬も万能ではない。マグルは治すことができない。それはひとえに魔法使いが魔力を持っているからこそだ。魔法使いは元々その身に宿る魔力を自身の回復など充てることができる。魔法薬は服用者の魔力を使ってその効力を発揮する。だから、ハリエットのように身を守るためと治療で多くの魔力を使い果たした状態では……これ以上の回復は見込めない。
 両手足はまた別の魔法薬が必要だが、ハリエットの様子ではそれは難しいだろう。昏睡状態に陥り、長期にわたって目を覚まさなくなるかもしれない。それは今の状況においては危険そのものだ。

 だがこれは早く行わなければ、とハリエットの眼を開けるように指を添えて新しい魔法薬を、目の火傷を治すための魔法薬を垂らす。激痛に体を震わせるハリエットの口が開いた瞬間、スネイプは片手をそこに入れ、食いしばるハリエットをそっと宥めた。
 気絶したハリエットの口から手を抜けばどれだけの力を込めたのか、そう思うほど大きな噛み傷が残されており、スネイプは満足げに口角を上げてハリエットを寝台に乗せようとして……首を振って床に転がす。床に落ちていた屋敷しもべ妖精のような布を手に取り、少しでも白い肌が隠れるようにとそれを着せる。幸いなのは今ヴォルデモートが出かけているという事。

 細い首にかけられている鎖は短く、どこにもつながっていないように見えるがおそらくはこの部屋か、邸につながっているだろうと乾かしたハリエットの髪を撫でる。額につけられた傷もあって、ほとんどハリー=ポッターそのものだ。
 最悪、もしかするとハリエットの正体をヴォルデモートは気が付いたかもしれない。何歳まで生き、そしてこの世界に戻ってきたのか。それによっては一度ヴォルデモートを打ち破っている可能性もある。そんな彼女を屈服させて凌辱の限りを尽くすのはさぞ彼にとっては愉快なことなのだろう。

 14歳のあのクリスマスの夜……必死にしがみつき、彼女が表現できる範囲で好意を示したあの時に。あの夜に自分が彼女を愛したことは彼女の心を思えば幸いだったのかもしれない。彼女が今こうして、スネイプにだけ警戒心を解き、身を任せてくれているのは彼女との間に確かな絆があったからに違いない。

 持ってきていた魔法薬全てを使い切ってまだ傷の残るハリエットを撫で……名残惜し気に……それでいて少し忌々し気に見える様部屋を出ていく。
 
 
 そのまま隠れ家の一つにたどり着き、胃に込み上げる不快感をそのまま吐き出した。あの襲撃からハリエットが拘束されて、暴力に晒されて……徹底的に痛みつけられたのがまるで何日もあったかのような気がして……たった一日の出来事にスネイプは床に崩れ落ちた。
 彼女を思い出し、彼女を愛していたことを知り……記憶のない間にいつしかヘンリーを、彼女を愛していたことに気が付いた。そんな彼女の仕打ちに、悔しくて仕方がない。
 助けは来るのか。それとも、このまま彼女は……。6つの花を思い出した瞬間、ずきんと頭痛がよぎる。

“エネアの願いを……満願成就とともに……”
 ハリエットに関する予言の一節があたまをよぎり、拳を握り締めた。まだ6つ。満願成就ということはあと3回行使するという事だろう。ならば……彼女はどこかのタイミングで自由になるに違いない。それがいつになるのかは……スネイプにはわからない。
 せめて、彼女の意識がある時にでも聞くことができれば。今はとにかく、彼女のために薬を精製すべきだ、そう考えて杖で部屋をきれいにし、調合の準備を始める。

 愛している彼女を贄にささげるために手当てしているわけではなく、逃げるため、生かすためにやっていることだ、と自分に言い聞かせ……ふとハリエットの治療に呼ばれた際、外していたブレスレットを思い出して腕にはめる。
 黒い石の一つに亀裂が入ってしまった髪紐兼ブレスレット。いつも彼女と共にあったこれを……彼女に黙って所有しているが、今回のことを思えば失われずに済んでよかったと思うべきかもしれない。なぜ割れたのかわからないが、彼女に返すときに壊れては元も子もない、と杖を向けた。

「レパロ」
杖をふるうスネイプだが、亀裂は消えない。なぜだ、とブレスレットを指でなぞり……エピスキーを唱える。まさか無機物に効くわけがない、と試した自分に呆れてブレスレットをつけたまま袖を直した。






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