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31:灯は風に吹かれ
老人は突然鎖の音を響かせながら立ち上がると壁をただ見つめる。音に気が付いてきた見張りが観察をしていると、老人は膝をつきまるで何かを祈る様な姿勢でまた動かなくなった。
遠くで不思議な旋律が聞こえた気がして、いったい何の音だと見張りは首をかしげる。
風のうねりに交じる不死鳥の歌は老人がかつて利用しようとして失敗した……青年のそばでも奏でられていたことは老人だけが知っていた。
打ちあがった闇の印をみつめるハリエットは聞こえてきた戦闘の音にぽろぽろと涙をこぼす。もうこれで平和は消える。やがて……上空から二つの影が下りてきた。あれはハリーとダンブルドアだ。
それをみてからヘンリーは目くらましを掛けたまま箒にまたがる。静かに誰にも見られないように移動するとダンブルドアの杖が飛ばされるのが見える。今不用意に杖に触ることはできない。
どれくらいたったのだろうか。風になびく黒いローブが見えた気がして、ハリエットは目の前が霞むほどの涙があふれるのを必死にぬぐった。
もしできるのであればスネイプに代わって自分がダンブルドアを手に掛けたっていい。でもそれではだめなのだ。ドラコの命とスネイプの命がかかっている以上、どちらかがやるしかない。そしてそれは優しくまだ無垢な魂のドラコではなく、一度道を外れてヴォルデモートの印を得てしまうほどに闇に身を浸したスネイプがやるしかない。
かつて……彼の立場を守るために調べた結果、彼はダンブルドア以外の殺害をしていない、とされていた。もちろん、服従呪文で間接的な殺人はあったかもしれない。それを証明することは誰にもできない。
あるいは魔法薬を……と考えたところで、彼の魔法薬に対する姿勢は誠実で、まじめで……きっと魔法薬学を悪用することはなかっただろう。もしそれを悪用する気があれば……リリーに愛の妙薬を飲ませていただろうから。
それに、と見上げていると緑色の閃光がぱっと光り、ぐらりとダンブルドアの体が手すりから滑り落ちる。本来その場で崩れ倒れるはずの魔法なのに、手すりだってそんなに低くないというのに。
「アレスト・モメンタム」
落ちていくダンブルドアに唱えてそっと下から抱き留めた。死の呪いは相手を強く憎むことで効果が出る魔法だ。すなわち……スネイプにはダンブルドアの命を刈り取るだけの力はない。
死んでしまえ、消えてしまえ、そんな負の感情を持たない一撃は不完全な魔法で終わり、抱き留めたダンブルドアが小さく息をするのを感じる。そう、やはり彼はこの魔法には向いていないし、服従呪文で誰かを傷つけることも考えにくい。そういう性分ではないから。
「ダンブルドア先生、お疲れさまでした。もう、肉体はお休みください」
ゆっくりと降下するヘンリーに空色の瞳がちらりと動く。かつてはこうして投げ出された後、地面に当たるまでに命は燃え尽きていた。今回はわずかな猶予の時間が設けられている。
「“ありがとう”」
わずかに動く唇がそう紡ぐとダンブルドアの体からすべての魔力が消え、指輪の呪いが解き放たれた獣のようにわずかに残された鼓動に喰らいつく。毒で弱り切った老人の体はそれには耐えきれず、ヘンリーの腕の中で末期の息を吐いた。
地面にたどり着いたヘンリーはそこにダンブルドアを寝かせた。かつてのように眠り、かつてと違ってどこか安らかな顔で、かつてと違って組んだ指は胸の前に置かれて。
ヘンリーは杖を振ると組んだ指にスイートピーを数本持たせた。門出を祝い、別れを惜しむ花を添えてそっとぬくもりが消えつつある額に祈る様な口づけを落とした。
「おやすみなさい、アルバス=ダンブルドア」
安らかな体をそのままに、燃える小屋が見える位置まで移動する。目くらましを掛けたまま逃げていく死喰い人を見つめているとハリーが弾かれて……その呪文を唱えた男、スネイプを見つめた。
彼はドラコを守るために必死だった。そう、彼は誰かを守るためならばどんな手段も問わない……生粋のスリザリンだ。守る目的のためならば……周囲を巻き込まないために自らを犠牲にすることもいとわない。
それはまさしく騎士道なのだろうが、彼は暗殺者にもなりえる狡猾さと非道さ、闇に手を止めることもいとわないそれがグリフィンドールに入らなかった理由だろう。時に裏切ることもできる彼はその点では騎士道に反する。その芯がどんな騎士にも劣らない輝きを持っていたとしても。
ふいに視線を上げたスネイプと一瞬目が合った気がして……ハリエットはさようなら、と小さくつぶやいた。ぱっと身を翻して消えるスネイプを見送って、ハリエットは突然の戦闘で傷ついた城内を進む。そのまま混乱が残る中を上がって起こされたフリットウィック先生と入れ違いにスネイプの部屋に入った。
テーブルにはちょうど飲もうとしたのか、湯気の立つカップが置かれていて、ハリエットは涙かずっと止まらない。そっと青い鳥が飛ぶカップに触れると寝室に入り、クローゼットを開ける。
どこぞの自意識過剰男と違って基本的に魔法界の服装は変わらない。時々変える人もいるにはいるが、魔法界はそもそも洗濯が一瞬であることとよほどのことがない限りは考えるのが面倒だと、同じ服を持っているのは死ぬまでの間でよくわかった。
ハーマイオニーも自分も一応仕事着は決めていたが、一週間で変えてとやっていたら同僚にポッターさんはおしゃれ好きなんですね、と言われたことで驚き……一切変わらないロンとネビルを見てマグルと違うのか、とハーマイオニーと驚いたものだ。
スネイプもまた服装にこだわりがないためと、魔法薬がかかったことでレパロでも直せなかった時用にと、予備の服がいくつかあるのを知っていた。几帳面な彼のことだから一着そこからなくなっていればすぐ気が付くかもしれない。だからジェミニオをかけて複製し、本物の予備を手に取っていつもの袋に入れる。
靴とローブは彼が着ているものしかないのも知っているから、と似たものを5学年時に購入しておいた。サイズは……先生がシャワーを浴びているときに身に着けて確認した。ぶかぶかの靴とローブだけを羽織ったところでスネイプに見つかり、そのまま寝室に押し込まれたのももうずいぶん遠い記憶だ。
白いシャツと上着とズボンそれと……と目をやってから女物の下着を履くわけには行かないもんね、先生の下着のサイズなんてわからないものね、と必死に言い訳をして新品と思われる下着も拝借する。
こんなのバレたら恥ずかしすぎるが、まさか何も履かずにズボンを履くほど馬鹿ではない。そう、これは必要なことであってヘンリーの姿の時にうっかり買い忘れたわけでも、彼のサイズの下着を買うのが恥ずかしいわけでもない。
決して変態ではない、と必死に自分に言い聞かせて確認をする。女性ものの下着を履いたりして未来ある先生を変態にするわけには行かない。
ドラコにお願いして幾つか魔法薬も手に入れて……。必要なものは決意した後こっそり集めてきた。だから足りなかったものはこれで揃った、と袋を持ち……寝台を見つめる。
「先生」
きゅう、と胸が苦しくなってハリエットは袋を手に引っ掛けて寝台に倒れこむ。そのまま枕を抱き寄せて顔をうずめた。どれだけ苦しかっただろうか。そしてこれからどれだけ苦しい思いをするだろうか。
「先生」
ぎゅっと枕を抱きしめて目をつぶる。もう終わりまで一年。魔法薬を常時精製していないからだろうか、いつかのような魔法薬の匂いではなく、スネイプの匂いが胸を満たし、心を揺さぶる。
「絶対に助けるから」
賢人の死を憂う声を遠くで聞きながら、ヘンリーはスネイプの痕跡をただ黙って抱きしめ続けた。この一年、彼は茨の椅子に何食わぬ顔をして座り続けることが何よりも悲しい。
ハリエットにできる“その後の未来”に関してできる限りの布石はうった。後は今までなかった“選択肢”を彼がどう選ぶか、それ次第だ。それでもこれで彼は助かる。そして今度こそ幸せになる。
そして、そして……そんな彼の足元には屍は残らない。
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