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30:捻じ曲げた対価
ヘンリーは休学となってから一人であちこち散策し……天文台を見上げた。
ハリーがジニーと付き合いだしたことは喜ばしいことで、ロンとハーマイオニーもいい感じになっているのに幸せを感じていた。そしてふと自分の隣に彼がいないことが悲しくて、寂しい。
大切にしていた髪紐はあの一件でセクタム・センプラが当たってしまったのか、目を覚ました時にはなかった。きっとちぎれてバラバラになって……水と共に流れてしまったのだろう。アクシオを唱えるも反応がないことからそう判断し、休学中で授業がないことをいいことに自室にこもって泣いた。あれだけはそんな風にお別れしたくなどなかった。今は前にドラコがくれたユニコーンの毛が入った髪紐を使っている。
スネイプがくれたものはあと金のブレストレットと、薔薇の髪留め、スズランのバレット。他にも本や瓶があるが、あれは身代わりにはならないだろうと、そう漠然と理解していた。スフェーンの原石も何か違う。おそらくは身に着けられるものが身代わりとなるだろう。腕時計はあの日からピクリとも動かない。
金のブレスレットは……今はしまっておこうと外してあった。きっと……ムーディを助けるときに必要になるかもしれない。きっとペナルティは受けるだろう。その時に、と考えるハリエットはスネイプからの贈り物を代償とすることに唇をかみしめる。
本当はそんな風に扱いたくないし、失いたくもない。それでもきっとこれは母への想いを捻じ曲げ、自分のいいようにしてきた罰なのだ。それに、正直それがないとどんなことが起きるのかわからないことが怖くて仕方がない。幸い……未来を告げた程度ではクルーシオ一回分くらいの激痛ですむことから、未来を変えた時のあの痛みが大切なものが一部肩代わりしてあれなのであれば……とてもじゃないが耐えられない、とハリエットはうつむいた。
セドリックの時はピンキーリング一つだった。シリウスの時はイヤリング一対とペンダント。ムーディがどの程度の対価を必要とするかわからない。ドビーもフレッドもだ。少なくとも、ムーディの時は肩代わりしてくれる何かが必要だった。だからブレスレットはその時に……。
ため息をついて懐中時計を取り出す。万が一を考えてドラコからもらった懐中時計は置いていかねばならない。ドラコと自分のつながりは匂わせてはならないのだ。あの時からドラコは自分のことをわかっていて……そして時計をくれた。他意はないと言っていたが、きっと少しはあっただろうというのは今ならわかる。
そうだ、と必要の部屋に向かうといつも通りの二人が見張っていて……ヘンリーは二人の間を抜けて扉を出してくぐった。
「もう今夜には修理が完了するだろう」
ヘンリーが来ることが分かっていたようにドラコは振り向かず、じっとキャビネットを見つめながらつぶやく。何とも返せないヘンリーは元気でね、とそれしか言えなかった。
「ドラコは家族と、なによりドラコ自身を守らないと」
わかっていたことだ。だからヘンリーはプリンスの本を回収しつつドラコの隣に行く。ようやく振り向いたドラコはどこか苦しそうな顔で……ぎゅっとヘンリーを抱きしめた。
「あぁ。君のことだから危ないところには行くなと言ってきくわけがないのはわかっている。だから……ハリエット、君の願いが叶うことを祈る」
「すべては星の導きのままに」
ぎゅっと抱きしめあえばドラコは幸運を、とヘンリーの額に口付ける。ヘンリーもそれに倣うように少しかがんだドラコの額に口付けを落とした。こつんと額を突き合わせて笑いあい、僕はもう行くよ、と目的の本を手に出て行こうとして、ドラコがその教科書に気が付いた。
「それは……」
「これはプリンス家の最後の人が書いた研究資料。大丈夫、ハリーには渡さないし、悪用することもないから」
自分たちが使っている教科書がなぜ?と疑問に思うドラコにヘンリーはこんなところにあるのはもったいないと答える。プリンス家?と言いかけてあぁ確か……とドラコは純血の一族の名を思い出した。
「確か当主はもう高齢で、後継ぎのいない一族だったと記憶している。そうか、ポッターの魔法薬の成績はそのありがたい研究資料が書かれた教科書を使っていたからか。実力にしてはおかしいとは思った」
聞き覚えがある、というドラコの容赦ない言葉にかつての自分にぐさりとナイフが刺さる。そう、本当にそう、と同意するヘンリーは苦笑いをこぼし、本を胸に抱く。
「それじゃあドラコ、僕は行くね」
「あぁ。ヘンリー、ありがとう」
手を振るヘンリーにドラコはどこか切なそうなそれでいて決意したような、そんな顔で手を振り返す。ハリエットはどうあがいても光の陣営で、ドラコはどうやっても闇の陣営だ。だからこれが対等な立場でいられる最後だと、ヘンリーだけでなくドラコも感じていた。
「二人も……元気でね。僕はマクゴナガルだから」
静かに閉じた扉を背にし、歩き出したヘンリーは変装しているゴイルとクラッブにも手を振る。6年間、なんだかんだ一緒に過ごしてきた……大切な学友であり、ヘンリーがあきらめざるを得ない命だ。
「ヘンリーがいると俺たちもドラコと対等な、そんな錯覚を感じていた。だからありがとう」
どっちがどっちに変装しているかなどはドラコは教えてくれなかったし、二人も女装することになってしまうからか教えてはくれなかった。だからこれがどちらの言葉かわからないが、ヘンリーは純血一族ってなんだか大変だね、という。
別に二人がドラコの従者のような教育を受けたわけではない。たまたま同じ年頃で……立場が上らしいマルフォイ家の息子と、一般死喰い人と何ら変わらなさそうな立場のゴイル家とクラッブ家の息子。
生まれた時の家の境遇で線引きされた関係は……歪なまま成長してしまった。ヘンリーという異分子が加わることで……ヘンリーを通して皆ただの学生でいられた。
「またいつか、どこかで……あの日の雪合戦をやろう」
どちらかの懐かしむ様な響きにもう一人が笑い、ヘンリーも笑う。そんな子供じみたことはもうできない。それが分かっているからこその小さな願い。ヘンリーは二人にもう一度手を振ると寮に戻って箒を拡大した袋に詰めて天文台の見える塔に上った。
足は素早く走ることはできないものの、もう杖を突かなくても十分になったのは幸いだ。だから自分の足音だけ気を付ければ静かで、窓から抜け出して箒にまたがる。
今日はもう食事をする気にもならない。だから、と通常では行くことのできない足場に降りて目くらましを自分にかける。
やがてダンブルドアが出ていくのが見えて、ヘンリーは遠ざかる明かりをじっと見つめていた。
「ハ……ヘンリー様」
ポン、という音ともに現れたのはドビーで、ヘンリーがどうしたの?と問えば食事をとっていなかったので、と軽食が入ったバスケットを差し出してきた。え?と受け取ったヘンリーにドビーは落ち着かない風でベベがしっかり食べるようにと言っていたことを伝えてきた。
「わかったよ。ありがとう。……べべの具合はどう?」
ヘンリーが好んで食べるサンドウィッチと糖蜜パイに微笑み……すぐに口角を下げて乳母のようなベベの具合を尋ねる。ハリエットがこちらに戻ってきて意識を取り戻した後の夏の終わりに突然倒れてしまった。何度か会いに行こうとしたが、足が悪くなってからはなかなか調理場には行けず、行けても屋敷しもべ妖精らが作った居住スペースは小さくてヘンリーですら入れない。
「ベベは恐らくはもう寿命が来ているのかもしれません」
どこか申し訳なさそうなドビーにヘンリーはそう、とため息をついた。かつて祖母というものもいなかった。しわくちゃで優しいおばあちゃん。きっと、屋敷しもべ妖精とはいえベベのような人なのだろうとハリエットは慕っていた。
今年で祖父のようなダンブルドアと、祖母のようなベベを失うのだろうか、と悲しみに胸を痛めるハリエットは目を伏せる。こればかりはどうしようもない。
「調理場の一角に……ベベを連れてきてもらう事ってできるかな」
「もちろんです。ベベにもそう伝えます」
居住区で何かあればハリエットは看取ることができない。だからと提案すると、ドビーはそれを察して頷く。空になったバスケットを返すヘンリーにドビーはバチンという音ともに消えた。
誰よりも高齢で、それでいて立派な屋敷しもべ妖精。彼女に何一つ返せなかったが、せめてたくさんの感謝と愛をつたえよう、とヘンリーは、目を閉じた。
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