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28:消えた名前

 何か嫌な予感がして廊下を巡回中、マートルの並みならぬ悲鳴と人殺しという声に急いでその声のもとに飛び込んだスネイプは目の前の惨状に言葉を失った。座り込んだポッターはこの際どうでもいい。それよりも血を流すドラコと、動かない赤い髪に息が止まる。

 ドラコの怪我は、まだ何とかなる。問題はヘンリーの方だ。奇跡的に杖は無事だが、白い腕が切り刻まれて、並みならぬ血が流れていた。先に比較的軽いドラコを治療し、ヘンリーを抱き上げる。
 ショック症状がでている、と緊急用にと持ち歩いていた増血剤を飲ませようとして、息が止まりかけたのを見ると急いでそれを煽り、ぽかりと開いた唇から流し込む。それと同時に無言呪文でヴァルネラ・サネントゥールを唱えて一番ひどい腕を治す。
 
 真っ白になっていた顔に血の気が少し戻り、か細い息が何とか体に空気を送り込もうと必死になるのを確認して軽すぎるヘンリーを抱き上げた。鋭い頭痛がし、何か既視感を覚えながら片手で十分なヘンリーと同時にドラコの腕をつかんで支える。
 早く処理をしなければ、と急いで医務室に駆け込めばポンフリーも悲鳴を上げ、先に彼をとドラコを渡した。ヘンリーはもう一度唱えなければならない、と杖を構える。

「ヴァルネラ・サネントゥール」
 これ以上ないほどに力を込めて唱えて傷をいやしていく。ポンフリーから渡された増血剤をまた口に含み、彼の口に流し込む。合わせた唇からも魔力を流し込めばようやくヘンリーの容態が落ち着いた。
 
 あとは私が、というポンフリーに託し、トイレに戻れば当人はまだ座り込んでいて、ぶるぶると体を震わせている。それに苛立ち無理やり立たせると壁に向かって押し出し、がつんという音が頭から聞こえるが構っていられない。
 どくどくと耳元で鼓動が鳴り響き、スネイプは復活したばかりのヴォルデモートの前に参じた時以上の焦りと恐怖に胸が締め付けられる。今すぐ殴り、痛みつけて捻り殺してしまいたい、という狂暴なまでの感情を何とか押し殺し、教科書を持ってくるように言いつけた。
 
 待っていればここから寮に行き、戻ってくるには少し遅い時間に駆け込んできたポッターを見て、スネイプの中の凶暴な蛇が激しく音を発する。間違いなく、彼はあれが書き記された魔法薬の教科書を手にしているはずだ。
 それを隠すポッターの思考が理解できず、怒りを押し殺して罰則を命じる。退学にさせられないことがこれほどに悔しいと思うスネイプはハリーを捨て置き、医務室に向かった。

 包帯を巻いた姿は痛々しくて……スネイプは彼の髪を縛るターコイズの髪紐をほどく。髪をほぐすように手櫛で梳けばまた既視感を覚え、そのまま頬を撫でて唇に触れる。そのまま指を下げて行けば破れた制服に触れて……その隙間から覗く鎖骨に目を止めた。

「スネイプ教授、少しいいでしょうか」
 後ろから聞こえた声にどこか後ろめたいことをしたような、そんな気持ちになりスネイプは髪紐を持ったままポケットに手を入れて振り向いた。それと同時にカーテンが揺れてポンフリーが顔をのぞかせる。こちらに、と言われて行けば何の魔法を使われたのかご存じかしら、とポンフリーはケイティを診たスネイプに問いかける。

「あれは……闇の魔術の一種で、たまたま目にしたものを唱えたようでしたな」
 かつて自分が作ったセクタム・センプラとはいえず、スネイプが答えればなるほど、とポンフリーは納得し、眠ったヘンリーに視線を移した。つられてみるスネイプは杖を振ってヘンリーとドラコの制服を直す。

「どうやら発作が起きている間にこんなことがあったのか、またおかしくなってしまったかもしれません。右腕の様子がおかしいんです。明日一番に病院に連れていき、詳しい検査を受けなければ何とも断言できませんが……」
 発作が起きているとき特有の症状がみられるのか、そういい出したポンフリーにポッターへの憎しみにと怒りが沸き上がる。せっかく最近は杖を突かなくてもいいようになったというのに次は杖腕か、と拳を握り締めた。

 セクタム・センプラはディフィンドを更に凶悪なものにしたそんな魔法だ。レビ・コーパスなどは忌々しいことに盗まれたが、この魔法だけは奴らも盗まなかったか、あるいは使わなかったかだ。

 そんな魔法をいきなり使うとは愚かな、と病院に行く手続きをしに行ったポンフリーを見送ってもう一度ヘンリーのそばに行く。彼の腕の怪我はきっと傷が残るだろう。幸い顔は無事だ、と頬を撫でたスネイプはそこに古傷があることに気が付いた。今付いた傷ではない少し古い傷は真一文字に彼の頬に乗っていて、どうやら消えずに残ってしまったらしい。
 そっと髪を撫でればヘンリーは少し顔を動かしてスネイプの手に顔を埋める。どこか幸せそうに微笑むのを見て、スネイプは屈んで額に口付けを落とした。


 マクゴナガルへの事情説明が終わるとスネイプは自室に戻り、いまさらなように服についた血を消し去った。校内にはすでに知れ渡っているようで、黒い服を着ていてよかったとスネイプはため息を吐く。
 もしこれでスネイプについた血を見た生徒がいたらもっと騒ぎが大きくなっただろう。もっとも、ヘンリーが巻き込まれた時点でスリザリンからの怒気はすさまじいものになってはいる。それを抑える気はスネイプにはなく、一休みしようと蒼い鳥が飛ぶカップを手に取り、いつか開封したのかわからない茶葉を使って紅茶を入れる。

 それでようやく落ち着くスネイプはヘンリーの肩口に見えた黒いスズランを思い出した。5つ並んだ黒い丸はスズランだと確信を持って言えることに不思議に思いながら、これ以上増えないでくれと願う。
 スズラン。
 思えばあのフクロウが持ち去った髪留めはスズランだった。では彼が?と思ったところでポッターがシークと呼んだフクロウを思い出す。

 スズラン、シーク、ポッター。まるで無理矢理意識をそらすような、認識を阻害するような感覚にスネイプはその間にある答えを見ようと必死になる。だが、どうしてもピースが当てはまらない。
 ヘンリーの赤い髪にもあの髪飾りは似合うだろう。それでも、あれは女性向けだと、そう思えて……。なにか、何か重大な名前がスネイプの認識から消されている。

 とても大切で、忘れてはならない名前。それが何だか思い出せない。やはり誰か……この場合はダンブルドアによって忘却呪文を掛けられているのだろう。ではなぜなのか。都合の悪いことを知ってしまったために、それで記憶を?

 思い返せばダンブルドアの前で出したパトローナス。リリーへの想いを反映した雌鹿は……少し小さくなった気がした。すぐに走り去る雌鹿をずっと見たわけではないが、僅かな違和感が……あったような気もする。それが何を意味するかは分からない。そして本当に変わっていた場合が恐ろしく、確認する気も起きない。
 
 カップを置き、椅子に座ったところでポケットに何か入っているのに気が付き、それを取り出した。ターコイズとオニキス……それとチラチラと炎が躍っているかのような不思議な石がついた紐だった。ヘンリーが横になるのに髪が縛られたままは寝づらいだろうと解いた後、持ってきてしまったヘンリーの髪紐だ。返さねば、と手に持っているとするりと腕に巻き付き、ブレスレットのようになる。

“先生”
 どこか優しく、リリーのような……そんな声が聞こえてスネイプは腕にそれをつけたままローブの袖口に手を入れた。妙にしっくりとなじむそれは、その日が終わるころにはまるで初めからそこにあったようにスネイプの意識から返さねば、という思いは消えていった。
 
 





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