--------------------------------------------
7:犬と小鹿
すっかり居場所となったリビングで寝ていた大きな黒い犬は鼻先をかすめた匂いに目を開け、慌てた様子でアニメーガスを解くと物音のするキッチンに向かった。
「寝ていないとだめだ、ハリエット」
こつりと杖を突く音と、小さな背中に呼びかけるとハリエットは動かないと落ち着かなくて、と振り向いた。
「シリウスは目玉焼き固めがいいんだっけ?」
「あぁ、まぁ……じゃなくて、そんなの……あーそっかここには屋敷しもべ妖精がいないのか」
ちょっと待ってて、というハリエットにシリウスはため息を吐く。ずっと誰かが食事を作っていたためにこうしてキッチンに立つ人を見るとなんだか落ち着かない。お皿とカップぐらいは、と戸棚から取り出す姿にハリエットはくすくす笑い、出してもらった皿にフライパンのものをのせた。パンぐらい焼ける、というシリウスにパンを託し、紅茶のためのお湯を沸かす。
少し焼きすぎた感のあるパンにバターを塗って食べるハリエットは青い鳥が飛ぶカップを傾け、ちょっと濃い紅茶に思わず笑みがこぼれる。
「今日は呪文学と魔法薬学のレポートか。懐かしいな」
「あと変身術もできれば片しておきたいかも。少しでも体動かして慣らして起きたいから……またちょっと付き合ってもらってもいい?」
今日の分、とシークが運んでくれる課題に取り組むハリエットに、シリウスは自分にできることはできるだけやりたいと、教科書を手にハリエットに教える。本当に先生に対するいたずらを除けば優秀だったんだ、と思わずこぼしたハリエットにシリウスは何か言いたげにした後、俺とジェームズは頭いいんだぞ、とハリエットの頭をなでるにとどまった。
学校が始まる前にホグズミードに移ったハリエットを護衛するのはシリウスと、時折来るレトレバーだけだ。運命の輪から外れたもの以外が彼女にかかわることにダンブルドアは首を振り、ハリエットもそうしたほうがいいと頷いたがためだが、やはり女性の家に同じ年頃の男が出入りするのは、と最近ではレトレバーも来ない。だからハリエットのリハビリはほぼシリウスが一人で行っていた。
ここあたりだろう、と教科書にある内容に目を通したシリウスはそこに書かれている内容を思い出しながら解説し、ハリエットの勉強を手助けする。メモを取るハリエットをちらりと見ればスズランをかたどった髪留めがきらりと輝いていた。
いつ運ばれたのかわからないメッセージも何もないプレゼント。魔法がかかっていないか確認したが問題はないと判断し、そのままハリエットの手に渡ったものだ。ハリエットも覚えがないようだったが、シリウスはなんとなくの勘だが、だれが用意したのかわかっている。
誰かとはハリエットにも伝えていないし、誰にも言っていない。だが間違いないことは断言できた。どうかした?というハリエットの問いかけに何でもない、と首を振り彼女のメモの間違いを指摘する。あれ?という彼女は歳相応で、シリウスはがしがしと頭を撫でた。
彼女にとって……スネイプと付き合っていた時間は何だったのだろうか。スネイプは本当にハリエットにリリーを被せていたのか。だが自分の知るあの男はそこまで器用じゃないし、目が悪いわけでもない。それにこうして触れ合うとハリエットはリリーでもジェームズでもない。それをわからないほど愚かな奴ではないはずだ。
あの時、ハリエットは自分とスネイプがジェームズとハリーを混合しているとそう言い放った。本当にそうだろうか。ハリーも時折思い込むとそのまま突き進む癖があるのはわかっている。ハリエットも同じだろう。今回もそうでなければいいのだが、それを確かめるすべはない。
ただ、安全な連絡方法ではなく、煙突飛行を使った方法でハリエットのことを伝えてきたのは……そうとうに焦っていたに違いはなく、常に冷静を装う男のそんな一面にシリウスは驚きもした。
まさか自分の最期があの場所で……自分を助けようとしたハリーを助けるためならば、ハリーのショックは大きかっただろう。ハリエットはそれを回避したかった。だから……ハリエットは自分を助けたのではなく、ハリーを助けたかった。だから、約束は破っていない。
そうさせたのもまた自分だ、とシリウスはそろそろ買い物に行ってくるよ、と双子から贈られた妙な髭を手に取る。それ絶対変だよ、と笑うハリエットに笑い返し、そっと外に出た。
ハリエットを前にするとどうしても後悔が湧き出てしまう。ハリエットはずっとスネイプとの終わりを見て過ごしてきた。そして、きっと別れは一筋縄ではいかなかったはず。それを無理にでもぶった切り関係を断ったハリエットは今どう考えているのか。
こんな未来になるというのならば、嘘でもいいからハリエットとスネイプについて口出ししなければよかった、とシリウスは大きく息を吐く。たった数年になる“ハリエットの夢”であるとわかっていたら……。そう思うと胸が締め付けられ、シリウスは早く家に戻ろうと用事を済ませた。
30分ほどで家に戻ると、ハリエットは心あらずといった風に一人座っていて……シリウスに気が付くと一転して笑みを浮かべる。あぁ本当にこの子は自分の傷を隠すのがうまい子だ、とこの変装そんなに変か?と鏡を見た。つけたのは髭だけなのに髪の毛まで変化している様子に、シリウスはすがイケメンだから変、とハリエットがきっぱり言い渡す。
だろ?とわざとおどけて見せるとハリエットは笑いながら、はいはいと返してくる。彼女にとって自分といる16歳の記憶はないのだから……たくさん甘やかして、そしてかまってあげたい、と華奢なハリエットをシリウスは抱きしめた。くすぐったいよ、と笑うハリエットに少しくらい甘やかせてくれ、とシリウスは笑い返す。
こうして触れ合うとジェームズに似ているようで中身は全然違うのだな、とシリウスはまた少し乱暴に頭をなでる。見た目がただ似ているだけで……ハリエットはハリエットであるし、ハリーもまたハリーだ。その証拠にハリエットはハリーよりもジェームズにそっくりなのに、笑い方やふとしたしぐさが……リリーに似ていることだ。
もう間違えることはない、とシリウスは親友の死を……どこか受け止めきれずにいたそれを飲み込み、二人が遺した子供たちを見つめる。
|