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41:すべては白い闇に包まれて

 無事彼女が治療を受けたという知らせを受けてから、彼女のいた痕跡を消さねばとスピナーズ・エンドの家へとスネイプは戻ってきた。その庭に残る血だまりに膝をつき、乾き始めた血に手を置く。ほとんど前を見ることもできなかった彼女はどうしてここに来たのか。

 なぜこの家を知っていたかなんて今は知らなくていいだろう。なぜならば……彼女は死ぬまでの間にここに来たのだから。ただ、無意識にここを選んでくれたことが、何よりの答えな気がした。きっと彼女は無意識だったためにここが分からずただ移動しなければと、そう考えたのだろう。

 思い返せば彼女はあの時、苛立ちと憎しみで頭がいっぱいの自分に対して父ジェームズの口調をまねていた。だがその内容はあの忌々しい記憶で何度も聞いた戯言の焼きまわしだ。
 きっと、彼女は今世でほとんど悪口などを言ったことがないのだろう。ポッターも記憶している限りでは悪口や嫌味に相当する言葉のレパートリーはあまりない。そして彼女は言われる痛みも知っている。

 だから、必死だったのだ。きっとハリエットから別れを切り出されても自分は彼女を抱きしめ、落ち着けと言っただろう。その手を振りほどくほど彼女は強くない。アンブリッジにはあの後、ポッターへの尋問用にと真実薬を求めたため、偽物を渡した。だが本物の真実薬を飲んだ彼女は、一緒に居たいとそうこぼしていたではないか。

 ずっと一緒にいたい、それこそが彼女の真実であり本当の願い……。ぎゅっと心臓を掴まれたような、嫌な言葉が頭をよぎる。“真の願いを対価に”。まさか、彼女はそれを対価に何をなそうというのか。もし、もしもこれが本当に彼女の願いだとしたら。
 立ち上がったスネイプは拳を握り締め、杖を振って血の痕跡を消し去る。会いに行かねばならない。

愚か者め、馬鹿者め。こちらの気も知らないで。

 確かに、あの時彼女があんな態度をとらなければ自分はいつまでたっても彼女を手放すことができなかった。彼女を優先してしまうところだった。どんなの頼まれても、きっと自分は彼女を守ってしまう。ポッターを守らねばならないというのに、きっと役目を見失っただろう。

愚か者め、未熟者め、臆病者め。

 私室に戻るとそうだ、彼女のあの髪を治さねばと棚を探る。まだあったはずだ。彼女が大切だと言いながらも彼女が……ポッターだとしたらと不信な目を向けた。そんなの、どうでもいいことのはずだ。
 なぜなら、自分はヘンリーという一人の男子生徒という認識しかないときに、その時に彼に惹かれていたのだから。あの忌々しいジェームズに似ているはずの眼に……ハリエットになろうとヘンリーであろうと変わらない、あの瞳の輝きに自分は惹かれたのだ。自分という闇を照らす月のような、そんな輝きに焦がれた。そして彼女の内面にどんどん惹かれていった。

 中身が誰であろうと関係ない。彼女は、自分の前でいつも花がほころぶような笑みを向けてくれていたではないか。恥じらいながらも自分から口付け……あの聖夜の月明かりの下で笑いかけ、そして顔を赤くしてきた彼女が、自分をだましているなどと、よくもそんな戯言を思い浮かべたものだ。あんな中身のない稚拙で慣れない悪口をどうして真に受けたのか。

 馬鹿者が、愚か者が、

 まだ、まだ彼女にこちらの想いを伝えていない。どうして彼女が答えをくれないかなど……彼女が転生者ではないかと疑った時にどうして思いつかなかったか。

 ペチュニアに聞いたのかもしれない。自分が、リリーの幼馴染だという事を。
 どこからか聞いたのかもしれない。自分が、リリーを愛していたと。
 
 自分がブラックと口論になった時、彼女は隠していたはずの姿で自分を止めた理由は……。彼女の赤い髪と、彼の赤い髪が記憶に重なる。
 あぁ、彼女はずっと知っていたのだ。自分がリリーを愛していたことと、決別したこと。そして、諦め悪くいたことを。
 彼は知るのだ。自分がリリーへの愛でダンブルドアの命で動いていたことに。彼は、彼女は、全部全部こちらの事情を知っていたのだ。

 学生のころから何一つ変わっていない、馬鹿者だセブルス=スネイプ

 彼の未来では彼女がいないのだから、まさか最愛の人が代わるなどと彼は思ってもみなかったに違いない。自分だって、彼女以外を愛することになるとはみじんも思わなかったのだから。
 彼女が愛しているとそう思っていても伝えることなどできない。彼女の中の自分は、セブルス=スネイプは、不器用であることを知っているのだから。

 思い返せば、一度も彼女に好きとすらも言えていない。彼女と違って、ただの一度も伝えられていないのだ。だというのに、彼女が愛していると言ってくれないなどと、どの口が言えたことか。自分は一度も彼女に想いを伝えていないというのに。

 目当ての瓶を見つけ、手にとる。まだ彼女は目を覚ましていないかもしれない。でも、言わねばならない。今度こそ、彼女に自分の想いを。愛していると、陳腐だろうと何だろうとどうでもいい。ハリエットに、伝えなければならない。
 ヘンリーに会うまでは確かにリリー一筋だったのに、彼が、彼女が、自分を変えたのだ。凍った心を溶かしてくれたのだから。ほかを愛することができるのだと教えてくれたのだから。だから、彼女にそのことを伝えなければ。


 暖炉から行けるのだろうか、と考えたところでノックの音が響き、ダンブルドアの声がする。あぁそうだ、もしかしたら彼女は移動したかもしれない。病院では彼女を守るには守りが不十分なのは以前の事件からも明らかなのだ。

「急いでおるようじゃな。ハリエットは無事、一命をとりとめた」
 ダンブルドアは中に入ると扉を閉め、静かに告げる。荒れ狂う心に日の光が差し込んだ気がしてスネイプは瓶を持った手で机に触れた。こつんと瓶が机に当たる音が二人の間に聞こえる。

「彼女の髪に使う魔法薬じゃな」
 ちらりとみたダンブルドアは愁いがこもった眼でスネイプを見て、長いひげの中で口角を上げる。それはどこか……儚いものが最後の光を放つのを見るかのような、そんな顔でじっとスネイプを見つめていた。だがスネイプはこれ以上ないほどに取り乱していて、そんな些細なことに気が付いていない。

「彼女は、ハリエットは今どこに」
 今ここにダンブルドアがいるという事はきっと彼女はどこか……城内に移動したかもしれない。そうだ、そうに違いない。
 今度こそ、きちんと言わねば。彼女に、ハリエットに。君を愛しているのだと。距離を置くというのならばそれでもいいと。この戦いが終わった後、再び抱きしめてもいいかと。

「以前、彼女が真実薬を口にする前に、わしのところに来て頼みごとをしていった」
 ダンブルドアの静かな言葉がスネイプの耳からすり抜けていく。早く、早く彼女のそばに行きたくて、上の空で相槌をうつ。
 そうだ、きっと彼女は秘密の部屋あたりにいるのではないか。今度こそ、彼女に、彼女のもとに。

 あの時だって自分が動いて彼女を守っていればよかったものを。自分がやったのは他人に興味のない男への懇願と、今まで敵対していた恩師への懇願だけで彼女の守る肉壁にもならなかった。彼女が大事だというならば、誰になんと言われようとも、ダンブルドアに何をされても彼女をさらってでも連れていくべきだったのに。

「すまない、セブルス」
 視線をそらしていたスネイプはその言葉にハッと顔を上げた。ダンブルドアに合わせた焦点の間に何かある。だが、それよりもダンブルドアのひげを伝う雫に驚いて思考が空転した。

「オブリビエイト」
 白い光が、すぐ目の前で弾ける。直前まで彼女のことで頭がいっぱいだったスネイプは、普段なら絶対しないはずの失態をしたと気が付いたときには視界は白い光で満たされていた。

 倒れるスネイプをダンブルドアは受け止めるとすまない、と涙をこぼした。
“「セブルス=スネイプの記憶から私を消してほしいんです。きっと今の彼はこの先行うはずの作戦を思いついても決行することができません。だから、私、ハリエット=ポッター……ヘンリー=マクゴナガルと共に過ごした日を消してほしいんです」”

 彼女が、ダンブルドアのもとに来た時告げた頼み事。大事なことだから、と笑っていた。杖を振って気絶したスネイプをソファーに座らせる。
 机を見ればヘンリーの薬の改良について考えていた羊皮紙が目に留まり、杖を振ってそれをたくさん本が詰まった本棚に隠した。スネイプが置いた瓶に目を止めるとダンブルドアはそれを受け取り、そっと部屋を後にする。

 何より尊ぶべきと、そう学んだはずの愛を、誰よりも愛情深い子の願いとはいえ消し去ってしまったことが……当人から余命宣告された身とはいえ何よりも鋭く突き刺さって仕方がなかった。


 眠った二つの魂が、高さだけが違う同じ場所で同時刻に2粒の雫を零れ落としたことに、当人はおろか、誰も気が付かない。


 白い世界の中、スネイプは彼女のことを思い出していた。はにかむように笑う、ヘンリー。ずっと好きだと言ったハリエット。顔を真っ赤にしてどのプレゼントですか、と困った風に問いかけたヘンリー。先生が好きだから、とこちらの気も知らないできちんとした男女の関係になりたいと、そう願った美しいばかりの……ドレスを着たハリエット。どれも懐かしく、美しい大事な思い出。

 そこに初めて見たビオラの記憶が紐づく。あれは9才だろうか。転生者でなければとんだ天才だ。彼女はいつもそばに来て、全身で好意を伝えてきた。いつも甘えるように身を寄せてきたビオラ。ハリエットも最初は戸惑ったのだろう。
 それでも、自分の見ている夢を壊したくなかったのか。それともハリエット自身、ハリエットではなくビオラとしている時間が大切だったのか。あるいは両方か。

 不意に目の前にビオラが現れる。今見ているのは夢なのだろうか、そう思って手を伸ばすとビオラは白い光に包まれた。はっとしたときには今まで思い出していた記憶が次々と白く塗りつぶされて消えていくところで。
 やめろ、消すな。消さないでくれ。せっかく芽吹いて……自分が何度も傷つけて枯らしかけてきた大事な、大事な芽を抱きしめる。だめだ消えないでくれ。そう願うのにそれさえも消えていく。
 先生、大好き、と笑う彼女の記憶が。
 どうすればいいのかわからなくなって困ったときの彼女が。
 みんな、みんな消えていく。
 
 無意識でも自分に助けを求めて移動してきた彼女の、ぼろぼろの姿さえみんな、みんな。

 彼女に、今度こそきちんと伝えたいのだ。愛していると。リリーよりも今はハリエット、君を愛していると。
 手のひらに握り締めた何かがちりちりと消えていく。彼女を抱きしめて、振られてもいい、抵抗されたっていい。まだ、まだ彼女に伝えていない大事な言葉があるのだ。

 ただ、愛していると。
 この一言を彼女に。

 光はとうとうスネイプをも覆っていく。

 言わ……なけれ……ば。
 彼女に……今度こそ……。
 リリーに……言えずに、淀んだ……愛とは別に……。
 ハリエ……ットを……愛して……ると。

 …………ハ………………
 ……………リ………
 ………エ……
 ……ッ…
 ……


 ……



 ……?

 

 ムスカリで紡ぐ不器用な花冠 第五学年 終






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