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38:一度きりの奥の手
鋭い痛みと、息苦しさに目を覚ましたハリエットはげほごほと咳き込み、ぐいっと掴まれた髪に小さな悲鳴を上げた。きっとクィレルにつかまれた時の非ではないだろう、とどこか他人事のように考え……目が覚めたようだね、という女の声に目を開けた。眼鏡がどこかに落としてしまったのか、はっきり見ることはできない。それでも、声と影で大体はわかる。
「その辺にしておけベラ」
再び眠られては意味がない、という冷たい声にハリエットは震えてじっと睨みつけた。生意気な目だ、という声と共に髪を掴んでいたベラトリックスから無理やり動かしたのか、ぶちぶちとちぎれる音ともに顔に痛みが走る。
床に打ち付けられたハリエットは一瞬意識が飛びかけるが、ここで気絶するわけには行かないと自分を奮い立たせる。今の状況を把握しなければ、と冷静になり自分の状態を確認する。
両手は後ろで縛られている。足は自由だが、ベラトリックスが背後にいるため走って逃げる選択肢はない。眼鏡はなく、杖もない。おまけに額からは今さっきの攻撃で切れたのか血が流れるのを感じる。
先ほどまでどうやら水に顔をつけられていたらしい、とわずかな水の跳ねる音に理解した。
「さて、娘。ハリエット=ポッターといったか。俺様が求めていた予言をお前は知っているな?その内容を俺様に話せば命だけは助けてやろう」
撫でるような、そんな口調のヴォルデモートにハリエットはふん、と口角を上げて見せた。ぐりっ、と床に押し付ける力が増して、ぎしぎしと体の骨が悲鳴を上げる。
空気が動く気配がして、何をと思っているとベラトリックスがハリエットの手を解放し、ヴォルデモートとは逆の力を加え始めた。やばい、とハリエットの体が警告を出した瞬間、鋭い音を立てて灼熱の痛みがハリエットを襲う。
すぐに抑えつけていた力が消え、ハリエットは思わず腕をつかんで叫んでいた。指先が動かず、ハリエットはこみ上げるものと共にその場に吐き出した。
「なんて汚い小娘」
あぁ不快だ、というベラトリックスは体を丸めたハリエットを掴む。さすがに不快だったのか杖をふるわれてそれらの痕跡は消し去られ、ハリエットは細く息を吐いた。
「あの小僧と違ってだいぶ脆いようだ。うっかり殺してしまうところだ」
くつくつと嗤う声がだんだんと遠ざかる。また拷問が激しくなると焦るハリエットだが、どうしようもなかった。
完全にブラックアウトしたハリエットにしばらくは楽しめそうだ、とヴォルデモートは死なせるな、と上機嫌に命じて去っていく。何をしても目を覚ます気配のない少女に、舌打ちをするベラトリックスは邪魔にならない壁際にハリエットを引きずっていく。
「おや?こんな大層なもの、不釣り合いじゃないかい」
襟元からこぼれ出たグリーンダイアモンドのペンダントに気が付いたベラトリックスは、それを掴むと鎖を引きちぎった。きらきらと緑の光を放ち輝くペンダントを見るとそれを無造作に腰元にしまい込む。
さぁて次はどこを痛めつければいい声で鳴くかしら、と杖先でハリエットの体を探る。ホグワーツには偽名を使っているというが、寮が分かる制服を着て来ればいいものをと舌打ちし、少女の精神を折るにはどこを弄ればいいか、と考えていく。
どれほど眠っていたのか、ハリエットが目を覚ますと何か袋をかぶせられているのか、何も見えない。ただどこかにつるされているのか、頭が痛く手足も動かない。
それと、どうやらゆっくり回っているらしくかすかな物音が頭の下でぐるぐると回る。
「神秘部での戦いから離脱したのはわずかこれだけとは……嘆かわしい」
ヴォルデモートの声に声を詰まらせるような気配を感じる。どうやら入口近くにいて、何とか逃げた死喰い人がいたらしく、報告しろという言葉に従って震える声で捕まった死喰い人の名を上げていく。
未熟な魔法使い相手に何たることだ、と失望する声と共にハリエットは鋭い痛みに悲鳴を上げた。
どうやらクルーシオをかけられたのか、全身が痛みを発している。
「ベラトリックのみが有益な動きをしたというのに、奴らの数を減らすこともできず戻ってきたのか」
ヴォルデモートの言葉に隠れた、役立たずという意味に、申し訳ありませんと這いつくばるように死喰い人が声を上げた。
「2度目はないとそういったはずだ。アバダ・ケダブラ」
どさりという音が聞こえ、残っていた死喰い人が悲鳴を上げる。さっさと始末しろ、という声に死んだ男を引きずっていく音が聞こえ……誰か別の足音が入ってきた。規則正しい音にハリエットは頭巾を被せられてよかった、と唇をかみしめた。
「遅かったではないかセブルス。何をしていた」
「申し訳ございません。ダンブルドアが戻ってきたと同時に、大量に薬を煎じねばならず。怪しまれないために対応をしておりました」
ヴォルデモートはそういいながらも状況はどうなっているのかと問い、スネイプは淡々と状況を説明する。なるほど、と低くなった声はどういう心情なのか。
ハリエットはわからなかったが今ここに奴らがいないことがただ残念でならない、と言ってハリエットに再び磔の呪いをかける。
思わず悲鳴を上げハリエットは折れた腕がさらに傷んで意識が遠のきかけるのをやっとの思いで堪えた。生理的な涙が目元を濡らし、体が勝手に震える。
「ベラ、それを運んでおけ」
その言葉と共に手足をおさえていた力がなくなり、ハリエットの体は床にたたきつけられた。どこかの骨が折れたのか、今は体中どこもかしこも痛い。
麻布をはぎ取られ、ハリエットはそのまま移動した先に突き飛ばされた。やけに服が軽い、と思っていたハリエットは下着の上に一枚、粗末な服を被せられていることに気が付いた。
「知っている?あんたみたいに脆くて、拷問に絶えられそうにない子の心を折る方法。ご主人様からは磔の呪いは自分だけかけよう、と言って禁じられているからね。だけれども、純粋そうな小娘にはぴったりの方法があるのさ。剥いで獣の中に入れてやればいい」
肉体への拷問が全てじゃない、と囁くベラトリックスにハリエットは初めて青ざめた。そんなこと、許さないし、許されない。震えていると仰向けにされて喉元に冷たい指が巻き付いていく。
のしかかる様なヴォルデモートにせめてもと睨むハリエットだが、脳内をざわざわとする感覚に急いで閉心術をほどこす。幸い、予見者たちは先天的に過去の未来を話すことがない様、閉心術士であると聞いてはいたがそれでも今の記憶はどうなのか、と心配してせめてもと必死に抵抗する。
「インペリオ……さぁ、すべて話すのだハリエット」
途端に多幸感に体が包まれ、さぁ言えと催促の声がかかる。閉心術をなんとか維持しようとハリエットはそれに抵抗する。痛みと多幸感と……無理やり頭を見ようとする力とで頭が割れんばかりに痛む。
必死に抵抗するハリエットは呪文が切れたのか、急に解放されて喉をひゅうひゅうと鳴らした。口の端から泡が出ていることに気が付くもぬぐう力もない。
どれほど眠っていたのか。意識を浮上させたハリエットは足に鋭い痛みを覚えて思わず悲鳴を上げた。一向に目を覚まさないハリエットに業を煮やしたのか、どこかにぶつけられたのかそれとも魔法でやられたのか。
もう痛みで頭がどうにかなりそうで、ヴォルデモートによって顎を掴まれ目をのぞき込まれてもハリエットは抵抗する力が残っていなかった。
先天的な閉心術士の力は今の記憶にも有効だったらしく、何度もこじ開けようとする力で頭は痛んだがそれ以上はなかった。忌々し気につき飛ばされるハリエットはあと少し、と必死に体の中に残った魔力の残量を意識する。
「予見者……。どうやら先天的な力によって守られているようだ。まぁいい。どうやらあの老いぼれはお前を見捨てることを選んだようだからな。奴は自分の描いた道筋にいないものは容赦なく切り捨てる。時間はいくらでもある」
空虚な記憶を見せられていた、というヴォルデモートに自然とハリエットは口角を上げていた。興味のある分野には特化しているが、とことん興味がないことには知識がない。
ダンブルドアがあきらめたのは自分がそう願ったからだ。見捨てるなど、とんでもない。自分がお願いしなければ……あらゆる知恵を使っていただろう。なぜならば、ハリーのためだからだ。
口角を上げたハリエットに気が付いたのか、ヴォルデモートの指がハリエットの首に食い込む。それでもハリエットはますます口角を上げるだけで下げることはしない。
「ダンブ……ルド……ア先生は……自分……冷たいけど、優し……人だ。僕が……彼に頼んだ……。絶対……助け……なと」
ダンブルドア先生がどれだけ苦しい顔をしていたのかなどヴォルデモートは知らないだろう。彼に……死の未来を告げた日、頼んだのだ。自分が知っている未来は自分がいないのだからと。
ようやく、条件がそろった。闇払いだけに伝えられる緊急回避のための方法。ネビルとロンと聞いたときはそんなのむちゃくちゃだ、とぞっとした方法。
できればこんな状況になってほしくないんだが、備えは常にせよと彼を鍛えた男がそう言っていたから覚えておくようにと言われた。油断大敵。それが口癖の男の教えだと、言われて気持ちを切り替えて3人でまじめに話を聞いた。それがまさか今役に立つなんて、とハリエットは笑う。
杖がないこと。心身ともにかなりのダメージを追っていること。両足が付いていること。
腹の底にとにかくありったけの魔法を貯めて貯めて……。殺される直前の状態に持ち込むこと。
今だ!とあらんかぎりに力を振り絞るハリエットにヴォルデモートの手が一瞬外れる。
小娘はまだ姿現しができない、とそう思ってわざわざ複雑な守りを張っているはずがない。それも踏まえてハリエットはくるりとその場で回転した。
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