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29:一度鳴らした鐘は戻せない

 スネイプとの逢瀬のあと……W・W・W特製の花火が暴れまわり、ヘンリーは静かにカレンダーを見つめた。明日の夜……いや、日付が変わったから今日の夜だ。胃の中のものがひっくり返りそうで、ヘンリーは座ったまま時がたつのを待っていた。
 眠れるわけがない。これから自分は……ひどいことをするのだから。
 顔を洗い、しっかりしろ自分、と活を入れていつも通り朝食をとる。

「ヘンリー、なんだか顔色が悪くないか?」
 尋問官親衛隊となったドラコはまじまじとヘンリーを見て、大丈夫かと囁く。一睡もしていないなんて言えず、夢見が悪かったんだと誤魔化す。ドラコはヘンリーの記憶通りますます傲慢になって……あーもう小憎たらしい、とヘンリーは笑い、そっとスネイプをうかがい見た。
いつも通りの彼。ついおとといの夜自分を熱く抱いたなんて、一切匂わせないほど完璧な彼。

 授業を済ませ、夕食も終わって……ヘンリーはじっと壁のくぼみに隠れていた。やがて不満げなハリーがやってきて、スネイプの部屋に入り……ドラコがスネイプを呼びに来て二人出ていく。
 ほどなくして戻ってきたスネイプの怒鳴り声が聞こえ……ヘンリーは逃げ出したいのをやっとの思いで堪える。このチャンスしかない。このチャンスを逃せば……きっと二度目はない。慌てふためいて逃げていくハリーを見送り、目を閉じる。


 父さん、お願い。今だけ……今だけ力を貸して。


 大きく息を吸い込み、扉を開く。荒れた部屋にあったはずの明かりはそれで消え、誰だ、と怒鳴る声が聞こえた。

「過去の記憶をハリーが見たんだね」
 少し気取ったような、ジェームズの口調に寄せる。怒り狂った目が向けられるも無視をして鼻先で小さく嗤う。ほんの少し何かが光っているだけの部屋で赤は黒にしか見えない。ただヘーゼルの瞳だけはきらきらと見えるはずだ。

「別にいいじゃないか。あれは君の真の姿なのだから。エヴァンズに君が言った言葉だって本心だろう?」
 ばくんばくん、と心臓が変な音を立ててヘンリーは震える手を必死に握る。ハリエットは酷い女だ。嫌ってほしい。そしてこの部屋から自分の痕跡を捨ててほしい。
 この先、彼が7人のポッターを計画するのに自分がいたら邪魔だから。彼の足かせにはなりたくない、と堅牢に見えた懸け橋を必死に叩く思いで言葉をつづる。

「違う!あれは。リリーのことをそう思ったことなどない!」
「でも心にない言葉なんてそもそもでないんだよ、スニベリー。君はそうやって目をそむけただけで、あの日の記憶に間違いなどないだろう」
 もう少し、もう少し力を貸して、父さん。そう願うヘンリーにさらに怒りに燃えた目が向けられる。

「お前は誰だ。ハリエット、君はハリー=ポッターではないのか」
「やっと気が付いたのか。そうだね、僕はハリーだったかもしれないし、ジェームズだったかもしれない。もうそんなことどうでもいいだろう。ダンブルドアがいなくなってしまった未来まで来た今、僕ももう装うのをやめることにしたんだ」
 少し冷静になったのか、問いかけるスネイプにヘンリーはどうでもいいだろうと言い放つ。先生、ごめんなさい。それが繰り返し心に響き、そろそろ最後の一撃をしなきゃとスネイプとの絆に斧を振り下ろす。

「スニベルス、君はハリーを傷つけた。やっぱり存在そのものが」
 バン、と扉に何かが叩きつけられ、ヘンリーは反射的に避けるとスネイプを見る。

「出ていけ。二度と、二度と私の前に奴にそっくりな、彼女の瞳を汚すその容姿を私の前に見せるな!」
 バン、ともう一度大きな音がして、ハリエットは頬をおさえた。そのまま身を翻して飛び出すと頬の痛みよりも胸の痛みが強くて、何も考えず走り出す。
 ダンブルドアに……お願いしたこと。それを行うとき、自分のことをどう思っているかが気になった。これで、これで安心だ。やるべきことはやりきった。

 最後に残っていた楔は解き放たれハリエット=ポッターという嘘の呪縛から彼は元に戻るだろう。

 リリーを愛した一途なその感情に割り込んだのは自分だから、これで彼は思い残すことなく母への愛を貫く。

「はーぁあ。大切な人に今年は殴られてばっかりだ」
 だけれども、これで心は軽くなった。母への愛をかすめ取っていたことを詫び、見上げた星空に微笑む。


 思わず走った衝動に振った手のまま、スネイプはぐちゃぐちゃと混乱のさなかにいた。なぜ急にハリエットはあんな態度をとったのか。あれは……明らかになにか考えていてのことだ。だが真意がわからない。だが、今追いかけねば取り返しのつかないことになる気がして、気ばかりが焦って空回りしていく。
 カチ、カチ、と規則正しい音が更に追い立ててきている気がして、うるさい、とスネイプは小さくこぼす。だがそれで音がやむわけでもなく、一度気になるとその音がやけに耳について離れない。

「うるさい!」
 怒鳴る声と同時に、制御できなかった魔力が放たれ、がちゃんと何かが壁に当たると音は止み、静寂に包まれる。あぁこんなことをしている場合ではないのに、と杖をふるい明かりをともすと周りを見ることなく杖で直していく。

 どれほど時間がたったのか。そう思って時計に目を向けるとそこにあるはずの時計がない。どくりと心臓が嫌な跳ね方をして、スネイプは先ほどの音が聞こえた方向に目を向けた。
 ガラスが割れ、歯車が零れ落ちた時計は特殊な魔法がかかっていたのか、レパロでは直っていない。動きを止めた時計が……彼女との関係の終わりに見えてスネイプは喉まで何かがせりあがり、理性がそれを押しとどめる。
 叫喚とする声が、怒鳴り散らしたい声が、泣き叫びたい声が一緒くたになって力なくその場に崩れ落ちた。

 今頃彼女の時計も止まっただろう。そうだ、もうこれで終わりだ。彼女との日々はもう終わったのだ。彼女がどうしたいのかなどどうでもいい。もう関係はないのだ。
 ただ、ぽっかりと開いた胸の穴だけが苦しくて、悲しくて。リリーを喪ったあの日よりも長く苦しめる。彼女は何としてでも離れたかったのだ。だから、こうしたのだ。

 きっと彼女は知っていたのだろう。自分がリリーを愛していたことを。そして、日々美しくなる彼女の背に彼女を見ていたことも。ジェームズによく似た容姿なのに、彼女はどう頑張ってもリリーに見えた。
 そんな風に曇りきった目を覚ましたかったのだろう。今は彼女の顔を思い浮かべるとジェームズへの憎しみが湧き出てしまう。ハリー=ポッターそっくりな彼女をどうしてリリーと重ねていたのか。

 手の痛みだけは何かを自分に問いかける気がしたが、スネイプはそれを無視することにした。彼女は……きっと自分といるのが嫌になったのだろう。何か思い出したのかもしれない。それとも、一昨日彼女を拒絶したのが決定打になったのかもしれない。

 彼女と離れれば……闇の帝王につながりが知れ渡ることもないだろう、とスネイプは壊れた時計と……彼女がいつも着ていたガウンを手に取り、クローゼットの使っていない引き出しに入れていく。写真や、彼女にまつわるものを入れていく。
 もう彼女がここに来ることはないのだから。
 歯磨きや彼女がいつも使っていたタオルを見ると杖を振って消し去る。

 いつまでも置いておくと未練しかなさそうで、スネイプは引き出しに鍵をかけた。





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