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52:フォークス
これ以上記憶が薄れては、と考えたハリエットは校長室の前に来ていた。合言葉な何だったか。確か……何かのお菓子の名前だったはず、と思いつく限り唱えるように上げていく。
「ゴキブリごそごそ豆板」
そういったとたん飛びのくガーゴイルにハリエットは心底いやそうな顔をし、階段に足を掛けた。未来も過去も見たくないお菓子だ。それを合言葉にしているなんて……。
ノックをするとすぐにダンブルドアの声が応じる。ヘンリー=マクゴナガルです、といえばすぐに戸が開き、ヘンリーを中へと通した。
「久しぶりじゃの。元気そうで何よりじゃ」
頷くダンブルドアにヘンリーは先生も、と返すとバサバサという音に目を向ける。そこにはこちらへのあいさつないのか、と言わんばかりの不死鳥フォークスが止まり木にとまったままじっとヘンリーを見つめていた。
「フォークスも久しぶり」
そういって撫でると気持ちよさそうに目を閉じる。フォークスは幼いころ初めて会った時からハリエットを受け入れてくれた。自分がハリー=ポッターであると気が付いているのかもしれない。彼の尾羽は本当に素晴らしい杖だった。
あの帝王も自分に固視しなければ素晴らしい杖の持ち主だったというのに、本当に愚かな判断をした。もっとも、彼が愛用した杖の中身がフォークスの物だと知ったら激怒してその場でへし折りそうな気はする。
お茶を入れ、いつものようにお菓子を出すダンブルドアに、祖父がいたらこんな感じだろうか、とヘンリーは腰を下ろす。幼いころ、マクゴナガルが出てしまうときなどにここに連れてきてもらってからの変わらない光景。
「それで、何か話があってきたのではないかな?」
わしも休憩させてもらおう、というダンブルドアが要件を訪ねてきて、ヘンリーは実はと口を開いた。もうクラウチが死に、ハリーが裁判の記憶を見たはずだ。
「ペンシーブが一つ必要なんです。どこで購入すればいいのか教えてもらってもいいでしょうか。もう重なった時間の記憶が……思い出せなくなってきたんです。大事なことはメモしてあります。だから、細かいところだけですが、確認したいので」
いくら何でも20年にプラス14年という月日は長い。要所要所似ていることもあり、記憶が混濁してきている。
「確かに、すべてを記憶するのは限界じゃな。確認し、都度取り出すというのであればもう少し小さなものを用意できるじゃろう。それでよいかな?」
手配しよう、というダンブルドアにヘンリーはほっとして紅茶を口に含んだ。
「セブルスとの仲は最近どうじゃ」
何気ない口調で唐突に聞かれ、ヘンリーがゴホゴホとせき込んだ。顔を赤らめ、何がですかと問うヘンリーにダンブルドアはにこにことして順調そうでよいことじゃという。
「じゃが、君はいずれ彼の手を放そうとも考えておるじゃろう。いかようにもやりようはあると思うのじゃが……本当にそれで君は本当に望む未来を得ることができるのか……そう考えておるのじゃよ」
心の内を見透かされたい気がして、ヘンリーはどきりと体をこわばらせた。真に望む未来……。彼を愛し、そして彼が本当に愛する人の代わりに抱きしめられるこの現状ですら奇跡に近いのだ。これ以上望んではいけない。彼を助けるためにも。
「ちゃんと望む未来に向かっていますから大丈夫です」
彼を生き残らせ、そして幸せになってもらう、これ以上何を望むというのか。ヘンリーは自分では気が付かないほど愁いを帯びた顔で微笑み、また一口紅茶を飲む。ダンブルドアはそうならばよい、と油断ならない瞳で頷き、一転してここのクッキーは絶品での、とクッキーを勧めた。
肩に急な重みを感じ、振り向いたヘンリーはフォークスの暖かさにほっと息を吐き、差し出された頭を撫でる。そのまま降りてきたフォークスはヘンリーの膝上でくつろぎ、じっとヘンリーを見上げた。
「どうかしたの?フォークス」
そっと撫でるヘンリーが問いかけるもフォークスは動かない。その温かさに触れているうちにフォークスの美しい羽毛にしずくが落ちて流れ落ちていく。何が起きたかわからないヘンリーは自分の頬に手を当て、濡れていることに驚いた。
ずっと……ずっと突き刺さっていた何かが緩んで落ちていくように……ヘンリーは訳も分からず涙を流す。
「ダンブルドア先生、私……うまくできますかね?」
震える手を握り、うつむくヘンリーは小さな声でダンブルドアに問いかける。もう不安に震えている時間はないというのに。
「ハリエット、君なら大丈夫じゃ。かつてクィレルから賢者の石を守り、バジリスクをも退治した。そして、多くの吸魂鬼を追い払い……3つの試練に立ち向かった、君なら大丈夫じゃ」
ハリエットが何者であったか確信めいた風に言うダンブルドアにハリエットはぎこちなく微笑み、目を閉じる。そう、勇猛果敢なグリフィンドール生。いい結果であれ悪い結果であれ……自分を信じて突っ走る……そんな傲慢な自分がどうしてできないと震える必要があるのか。
嘘のように震えが消えていき、ヘンリーの瞳もぴたりと涙を止めた。
「もっとダンブルドア先生と以前から話し合っていればよかった」
目の前の賢者は決してそんなことはしないだろうが、もっといろいろ話を聞きたかった。そう考えるヘンリーにダンブルドアはフフッと笑うとそうじゃなとどこか遠くを見つめる。彼が話し合うべき相手はここにはいない。
「誰かを心の底から愛するって大変なことなんですね」
「確かに。愛とは自分の感情や周囲の情勢などに関係なく、己を流そうとする。それゆえに目的のために、そう、大いなる目的のためにはその愛を隠さねばならぬ」
愛の為に目的を見失ってはいけない。だが、愛はその先に流す血を感じ取ると必死に目的を覆い隠そうとする。それゆえに愛は閉じ込めておかなければならない、とヘンリーはユリの花で封じた本当の願いを覆い隠す。
それまでじっとしていたフォークスが動きだすとヘンリーのカップに顔を近づけ何やら首を動かす。何をと考えているとくちばしから血のような、赤い石を出し飲みかけていたカップに入れた。水に入ったそれはまるで火のようにゆらゆらと光を放つ。
困惑するヘンリーはダンブルドアを見ればダンブルドア自身も見たことがないのか、非常に興味深げにそれをのぞき込んだ。
フォークスはしきりにカップをヘンリーに押し付け、じっと見つめる。
「どうやらフォークスはこれを飲むようにと言っておる様じゃ。マグルで伝えられるような不死の力はないのじゃが……はてこれは何なのじゃろうな」
ふむ、というダンブルドアにヘンリーはマグルの民謡で不死鳥の血は不老不死になるという伝説があるが、真っ赤な嘘であり現にマグル出身の魔法使いが試して死んでいる。燃え盛る卵にも見えるがフォークスは雄のはずだ。
ぐいぐいと押されてカップが落ちそうになり、ヘンリーは腹をくくってそれを紅茶ごと飲み込んだ。喉を通る際になんだか熱くなって鳩尾あたりで熱は消える。
「何ともない様じゃな」
変わった様子のないヘンリーにダンブルドアはフォークスをじっと観察する。無事飲み込んだからか、フォークスはいつもの止まり木に移動し、羽に頭を入れて寝始めた。結局何をしたのかわからないままにヘンリーはペンシーブの約束を取り付けて校長室を後にする。
しいて言えば……なんだか胸元が温かい気がする。なんといえばいいのか……まるでそこに魔力の塊があるような、そんな感じだ。かつて尾羽が自分の杖の芯だった。今もどこかでつながっているのだろうか。
ダンブルドア亡き後消えた鳥はあの後、どこへ飛んでいったのか。
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