--------------------------------------------


8:想定外の障害

 誰かに見られている気がして、ヘンリーは思い切って後ろを振り向く。誰もいない地下牢の石壁に囲まれた通路。すでにバジリスクは徘徊しているだろう。
 今はヴォルデモートの破片が入っているわけでもないため、蛇語はさっぱりだ。時折聞こえるのは風の音か蛇の這う音か。それもわからない。
 正直、とても怖い。今年は一番楽で、何も起きないと思っていたのに別の問題が起きるとは想定外だった。スリザリンは狙われなかったことからもこの石壁から出てくることはないのかもしれないが、相手は動物だ。それも半分野放し状態の。

 以前は最後まで正体がわからなかったから気にしてことはないが、今は正体がわかる分どこからそれが出てくるか……。
 今は大丈夫だとは思いながらも自分は以前いない人物で、もしうっかり鉢合わせたりでもしたら……そうおもうと暗闇や物影が怖くて仕方がなかった。

 今ここで死んだら……シリウスもスネイプも誰も助けることができない。そう思っていると自然と食欲もなくなり、少し心配なほどに痩せてしまった。
 ここ数日は特に調子が悪く、授業も少し休みがちだ。ふらふらとするヘンリーを同寮も心配し、マクゴナガルも心配しているが話すこともできないため、ちょっと体調が悪いと言って心配する手を潜り抜けてきた。

「ヘンリー、提出物を出した後教室に残るように」
 魔法薬学の授業中、そう声を掛けられヘンリーは内心うなだれる。とうとうスネイプにまで心配をかけてしまった、とため息をついた。魔法薬は今日は長いのを飲んだから大丈夫だろう。

 一人教室に残るヘンリーを、教室の鍵を閉めて戻ってきたスネイプがそっと抱きしめる。ずいぶんやせてしまった姿に眉を寄せ、唇を合わせた。
 スネイプのローブをすがるようなほど力の込められた手でつかむヘンリーは何も言わない。その様子を黙って受け入れるスネイプはヘンリーを抱きしめた。


 先日のハロウィンの日の騒動からヘンリーは妙に緊張しだした。特に“擦る音”に敏感で、スネイプの二股に分かれたローブの先が石畳をこする音にでさえ警戒している。
 つまり今回の怪物は“蛇”か、とスネイプはくたりと動かなくなった舌を解放させた。

 上気した頬も、ふやけた瞳も、脱力して身を任せる体も。

 全てが目の前の男を煽ることを彼女はわかっていない。
 ダイアゴン横丁でこそこそ購入していた材料からやはりと確信していたスネイプは最近少し元気のなくなった赤い髪を撫でる。
 まだ読み切れていない占い学の本によれば未来を知ることのできる予知者や予見者、予言者など様々なタイプがいるが、予見者の場合見た光景を話すことができないものがいるという。
 もし“ポッター家の長女”がそのタイプの予見者であれば怪物がホグワーツを襲うことを知り、いつか人が襲われるという光景が見えているのであれば、その恐怖は想像を絶するだろう。
 それと同時に、とスネイプは再びヘンリーの唇を塞ぐ。薬を飲んでいることを彼女は誰にも知られたくはないだろう。
 薬の開発者であるスネイプ本人にも教えていないのだ。知られたくない理由があるのだろうか。それならばなぜ自分にだけ無防備な姿を見せているのか……キスが嫌じゃないというのはそういうことと解釈していいのか。

 支えになりたいというのに支えになれない。そのいら立ちを誤魔化す様に深く口づけるスネイプにヘンリーはなすすべもなく、縋る手が震え足も震え……がたんと机が大きく音を立てる。
 とっさに手をついたスネイプはヘンリーがついに立っていられず背を机に預けてしまったことに気が付き、見下ろしながらまずい、と冷や汗をかく。
 12歳の少年相手でももちろんまずいが、12歳の少女ともなればさらにまずい。おそらく育ての親だろう顔が頭にチラつき、冷や汗が背を伝う気がして、学生時代を思わず思い出してしまった。
 ヘンリーを机に押し倒す形である現状に耳元で血潮が音を立てているのを自覚し、熱が一点に集中してしまいそうになるのをこたえる。
 抱き起し、耳元で大丈夫だ、と囁けばピクンとヘンリーは体を震わせた。

「何か怖いというのであればいつでも私を呼びたまえ。それと、あのペンダントにはわずかだが守りの魔法を込めてある。見肌放さず持っているといい。きっと君の助けになる」
 気休めでしかないことはわかっているうえ、魔法を施す前に勢いで渡したペンダント。
 ただの装飾でしかないペンダントだが、ヘンリーの心の支えになればとスネイプは嘘をついた。幾分それが慰めになったのか、ヘンリーはこくんと頷き手を伸ばしてスネイプの背に縋りつく。
 ぎゅっとしがみつくヘンリーを抱き返すスネイプは無防備な首筋に軽く口づけた。

 痕を残さないよう、当てるだけにとどめるスネイプだが、立ち昇る甘い匂いにくらりと眩暈がし、食んでしまいたい衝動にかられる。
 
 すべてが愛しくて、仕方がなかった。







≪Back Next≫
戻る