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30:芽吹いたのは
こつこつと靴音を立てスリザリン寮を歩くスネイプはそっとヘンリーが使っていた個室の扉を開けた。片付けられてはいるが染み着いた魔法薬の匂いに気が付き、何も置かれていない大きな机に手を置く。
考えが正しければ彼はここで魔法薬を精製していたのだろう。
気絶しているヘンリーに口付けた時、かすかに香ったのはあのダンブルドアに頼まれていた魔法薬の香り。頼まれた通りの効果を発揮しているのであればあれを飲んでいるヘンリーは……。
正体についてはまだわからない。
以前からその身にまとわせていた魔法薬の匂いが何なのか気になっていたことと、彼の無垢な笑みにざわりと心が揺らいで何度も唇を重ねた。
嫌がりもせず素直におとなしく口づけを受ける姿についその柔らかな唇を軽く食んでしまったが……。
あれは本人も嫌じゃないと顔を赤らめていたため問題はない……はずだ。
もしかしたらハロウィンのあれもやはり彼が関わっているのかもしれない。
あの時後ろにひっぱられなければ、草笛で一瞬鎮まらなければ……間違いなく怪我を負っていた。
逃げるためとはいえ階段を飛び降りるなど正気の沙汰ではないが、確実に着地できる自信があるのであれば最善の策ではある。あの夜もクィレルがあの晩に襲うことを知っていて、彼なりに何かしよとして捕まったのであれば……話は一本につながる。
大体、彼は魔法薬を服用する時間ではなく、魔法薬が切れるまでに寮に戻らねばならないのであれば……抜け出す口実さえあれば何も問題ではないのだ。だが、だとするとクィレルを殺したのは何で、なぜなのか。
もしやと思うが彼……いや、彼女は未来を知っていて、その知っている未来を再現させるために本来起こすべき相手を自分が代替わりしたとすれば。
ありえない話ではあるが、ヘンリーの優しい性格からして人の死を背負わせたくないと、そう思って行動したのであれば……。
こつこつと自室内を歩き回るスネイプはぴたりと足を止めた。
ヴォルデモートの予言にかかわるのがリリーの子であることを知り、あのハロウィンの晩までの記憶は人生の中でも最もあいまいで、記憶が乱れてしまって正確に思い出すことができない。
だが、鼠と呼ばれた人物の情報で未来を知る予知者の力を持った子が生まれたという話があったはずだ。ポッター家の長女……。だが、あの話はハリー=ポッターが男であり一人っ子であるということから出まかせだとされていたが……。
一部ではそのポッター家の長女は未来を知るという情報が独り歩きをし、黒髪の少女や緑の目の子供が誘拐されそうになった事件があったと聞いている。
もしその子供が実在して、その子が学校に行く年齢になった時、そのすべての情報を変える必要性があって……。だからダンブルドアが急に魔法薬の開発を依頼してきたのか、と壁に陳列してある魔法薬の詰まった瓶を見つめる。
ヘンリーが時折リリーに見えるのはその血を引いているからと考えればすべては繋がる。あの男の眼に似ているのも、笑った顔がリリーにそっくりなのも……全部理屈が通る。
幼い頃からマクゴナガル家に引き取られ育てられていたのであれば、その姓を名乗っても不思議ではない。
確証はないがここまでの考えはほとんど正解と言っていいだろう、とスネイプはカフリンクスを手にとる。ヘンリーにとって自分の性別はあまり頓着してないように見える。現にシャワーも男子用を使っているようではあるうえ、一度男子トイレに入る姿を見かけたこともある。
そしてあの無垢でふわっとしたあの笑みと仕草。本当に彼が彼女であるのであれば、もう少し自覚したまえ、とため息が零れ落ちる。
男が男を好きになるなどなくはないのだから、万が一間違いでも起きてしまたら……。
万が一魔法薬が切れて元の少女の姿をさらしてしまたら……。
そう考えると気が気ではない。ただでさえ、彼が他の生徒らとともにシャワーを浴びているということは、襟元から覗く白い肌を無防備にさらしているということにわけのわからない苛立ちを覚えるというのに……。
自分を慕ってくれるヘンリーの正体が何であれ、誰にも渡したくなどない。
あの笑みを向けるのも、大人しく口づけを受けるのも、自分相手でなければならないのだ、と黒い感情が沸き立つ。これは独占欲であることは重々承知だが、それをどうするということもできない。
腕に抱いているときだけが心底安心できるというのはかなりの重症だな、と自嘲気味に鼻で笑う。
まだヘンリーについてはわからないこともある。なぜハリーと字が同じなのか……それだけはずっと引っかかっている。彼らは同時に存在しているはずなのに、なぜ。
仮に兄弟である…‥年齢的に考えれば双子だと考えるのが妥当だろう。その片割れであったとしても、育った環境の異なる二人の字が似通うことなどありえない。
もっと何か……彼女が未来を知っているだけでなく、もっと明確な意思を持って行動していることに意味があるとするのであれば……。
今度こそ、ヘンリーの支えになれるのではないか。自分が思わず睨んだだけであれほど取り乱した彼の繊細な心を守ってやれるのではないか。
リリーだけを愛していたはずの人生に芽吹いた、小さな小さな芽に向かってスネイプはそっと呟き、ひとまずは薬の改良をしなければと羊皮紙を見つめる。
もし本当にヘンリーが飲んでいる薬がそうであれば、よりよいものを作るのは自分の役目なのだと。
「人の心に勝手に芽吹いて居座った……その責任を取ってもらうぞ」
今はまだ、この想いだけで十分だ、とスネイプは時が来るまで彼に言及するのはやめようと、その手を動かした。
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