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6:淡い芽吹き
鏡の前に立ったハリエットは直接髪を見る勇気はなく、鏡に映った赤毛の少年を見つめる。母のようであり親友の一家の様な赤い髪。ヘーゼルの瞳は何度も写真で見た父のものだ。
「ハリエットに戻った時せっかく伸びた髪がだいなしになってしまいますからね」
不思議そうに鏡を見つめるハリエットの普段より少し短くなった髪を自分でも結びやすいように束ねるマクゴナガルはさすがは親子、とほほ笑む。
スネイプは用途などを怪しんでいたらしいが、体の負荷が少ない材料で作ったという魔法薬の効果は16時間前後だという。24時間ではタイミングによって重なってしまう危険があることと、一時的にも体を変えるということで最低でも4時間は開けて欲しいという。
ポリジュースと違って全く別人にするのではなく血の情報をもとに隠れている部分を引き出す、そんな魔法薬と聞いて改めて鏡を見つめる。
かつては父に似ていると言われた面影はどこか母に似ていて、父と似た眼差しは色もあってよく似ている。髪は母と同じ色なだけでなく、その癖まで同じのようだ。
少し前髪で顔を隠す様にして、細いフレームの眼鏡をかける。骨格そのものはあまり変化させず、目つきなども同じだという魔法薬だが、ここまで色も雰囲気も異なれば気づく人はいないだろう。
「入学時にはヘンリー=マクゴナガルと名乗るといいじゃろう」
それで登録しておく、というダンブルドアに驚き、マクゴナガルを見つめる。10年我が子のように育ててくれたマクゴナガルと同じ名字でいいのか。戸惑うハリエットにマクゴナガルは私が名付けたのです、と笑う。
「実子というには少々私が歳を取りました。だからあなたは私の甥の子。完全な純血の血筋ではありませんが、これでも私が作り上げてきたこの姓に対する信頼度は高い方だと、そう信じています。この先何が起きるのか、私は聞くことはできませんが少しでもあなたの助けになるのであれば。少なくとも、ホグワーツにいる間は貴方をかばうことができます。ただ、退学になるようなことだけは見過ごすことはできません。いいですね?」
それだけは約束するように、とかつて時折見せていたマクゴナガルの悪戯めいた懐かしい眼にハリエットは頷いて胸元に手を置いた。
ハリエットは母リリーからの、ヘンリーは育て親のマクゴナガルからの。そしてこの二つは両方ともがハリーだ。ハリーが入学する以上誰からも呼ばれない愛称だがそれでも……唯一の肉親であり、この世界で運命を変えずに変えるべき相手の名。
そしてかつて呼ばれていた自分の名前。
ハリエット=ポッターを名乗ることはできないが育ての親であるマクゴナガルのつけた名を名乗れることがどうしようもなくうれしかった。
みんなを助けることはすなわちハリー=ポッターの幸せにもつながる。だから……入るべき寮ももう決めている。もっとも闇に近く、動きを見ていることのできる場所……そしてスネイプのそばにいられる唯一の寮。
あの時選ばなかった、スリザリン。
それしかない。
できれば目立たずひっそりといよう。父ジェームズの様な生徒はいなかった。ならば、かつてのスネイプの様に抜かりなく、ひっそりと。その分、休日は育ての親であるマクゴナガルとともにたのしくすごそう。
ヘンリーになっている間にアニメ―ガスになるもやはり姿は固定のようで、しっかり雌鹿になったことを確認するハリエットはそっと部屋を出ていつもの場所に向かう。
ふいに足元をすくわれた気がして、驚くと同時に地面に空いた穴に落ちる。
「よし!誰か引っかかったぞ!」
「さてさて、べたべたなトラップにひっかかったのはどこの寮かな」
聞き覚えのある同じ声にはっと顔を上げたハリエットは穴をのぞき込む赤毛の少年と目を合わせた。穴に落ちているのが生徒でないことに気が付いたのだろう。あちゃーと声を上げる。
「やべ、思った以上に深く作られた。動物だったからよかったけど、これ生徒にやってたら土日罰則でつぶれるところだった」
「これ上がってこれるか?」
逆光で見えにくいがこの声は間違い様がない。おーいと呼びかけるのはのちの悪戯専門店の創設者であり、あの大戦で一人になった親友の兄たちだ。
驚いて見上げるだけの小鹿に怪我でもしているんじゃないのかと杖を取り出す。いやな予感がする、とこれまでの経験で信用していないわけではないが、まだ一学年の彼らを信用できず、土の壁を登ろうとして後ろ脚に痛みを感じてその場でうずくまる。
おそらくトラップの一部が足に絡まったままなのだろう。
沼を作ったりとする彼らだがまだその技術は拙い。
「トラップの一部が足に絡まってらしい」
「これは要改善点だな。フレッド、お前浮遊呪文の成績どうだ?」
「あー……考え事していたせいもあるかもだけどちょっと生き物に使うのは」
「俺も。禁じられた森で保護されている動物だったらやばいぞ」
上で聞こえる声にハリエットはうずくまったまま動けない。杖が使えれば自力で脱出できるが、このワイヤーが絡まった状態で戻るのは危険だ。
何とか前脚だけでたちあがるも後ろ脚に力が入らず、登ることができない。
「何をしているのかね?」
穴の外から聞こえた声に二人ははっと振り向き、ハリエットは助けを求める様に顔を上げた。えーっと、という声に土が崩れる音が聞こえたのか穴を見下ろす影がハリエットの頭上を覆う。
「ホグワーツでは動物の保護を行っていると、そう両親から教わらなかったかね?」
「いや…ちょっとした実験で」
たまに顔を合わせていた小鹿だと気が付いたのだろうか。わからないハリエットの上で先ほどより下がった低い声で悪童二人に問いかける。
罰則と減点を言い渡し、城内に戻る様にと穴にいるハリエットが震えるほど低く怒りを込めた声が響き、ぱたぱたと走り去る音が残される。
動くと痛むことからうずくまったハリエットの前に降りてきたスネイプは杖を当ててワイヤーを断ち切ると、怪我の具合を確かめる。
「人間用の傷薬が効くかはあまり自信はないが……ひとまずこの穴をどうにかせねばな」
さて、と言いながら小鹿の下に腕を差し込むと人間でいう横抱きをするように背中を支えた。動物としてはあまりよくない姿勢だが、細い足に負荷をかけないようにと配慮されたそれにハリエットは鹿の姿でよかった、と顔を赤くした。
どうやって出るのかと思えば重いだろう自分を片手で支え、杖を振るう姿にどきどきと胸が高鳴る。ぐん、と上に持ち上げられるような気がして、身を固くするといつの間にか土の壁が消え、穴は跡形もなく塞がっていることに気が付き、なるほど、と妙に感心して……足の痛みに顔をしかめた。
杖を振るい、葉っぱの敷物を作るスネイプは小鹿をそこに置き、懐から塗るタイプの薬を取り出す。塗られた箇所がひんやりとした後、ピリッとした痛みを伝え、びくりと足が反射的に動く。
それをなだめるスネイプは薬を塗り終えた後念のためだと、そう言って懐からハンカチを取り出し小鹿の足に巻き付くよう杖を振る。ほどなくして治療が終わり、痛みが引いたハリエットは立ち上がらずそのまま膝をついたスネイプに何とか感謝の念を伝えたいと、頭を撫でる手にすり寄り、首元に顔を寄せる。
こしこしと擦るしかできないハリエットだが、スネイプには伝わったらしく、わが校の生徒がすまなかった、と小鹿を抱き寄せた。
母をまっすぐ一途に愛し続けた男……スネイプ。
彼は本来の自分を押し殺してまでハリー=ポッターを守り、その命さえも使い果たした。ここに生まれ変わって、そして性別が変わり……これまでのことをたくさんたくさん思い返した。
その時に様々な場面での真意に触れ、彼のやさしさに触れた。まだ生きているということに安堵したとき、もしかしたらかつてチャンに抱いたような……淡い思いが芽吹いているのではないかと、ハリエットは抱き寄せられるがままにじっとそれを受け入れた。
彼の視線の先には母がいる。
それは揺るがないことだ。
ふらふらとしてばかりだった自分とは大違いだ、とその横顔を見つめるだけで十分なことに気がついた。
「それにしても不思議だ。あれからもうしばらく経つというのに小鹿のまま。通常であればもうじき大人のサイズだと言うのに。もしかしたら……何かしらの魔法生物が姿を変え会いに来てくれているのかもしれないな」
それならば合点がいく、と呟くスネイプにどきどきとしながら似たようなものだから、とそっと立ち上がった。あまり遅くなると目くらましで城内を歩く機会を失ってしまう。
「外にイタズラグッズを仕掛けることをやめさせるよう、校長には交渉しておかなければ。たまたま発見が早かったからよかったものの、万が一ユニコーンの子供でもかかったら大問題になりかねん」
少し歩く小鹿に満足した後、穴の後を振り返りながらため息交じりにつぶやく。安心しろ、と振り向くスネイプにハリエットはもう歩けるよ、とアピールして促されるままいつものように距離を開けてから走り去った。
部屋に戻り、自分の寝台に身を投げ出す。あの後、離れて息をついた際、人間に戻ったハリエットはその時ほどけてしまったハンカチを握る。
返すことはできない。なぜならば彼が出会ったのは野生の小鹿だ。それがきれいにたたまれた状態で返せるはずがない。
それを分かっていて治療してくれたことがうれしくて……はっと顔をあげる。
ちょっと待てよ、これだとスネイプが好きみたいじゃないか。そう考えて顔が赤くなっていく。さすがにまだ9歳の自分が30の男を好きになるだなんて……いやまだぎりぎり20代か、と年齢を逆算する。確か大戦時で享年38と聞いたはずで……20違い……やっぱり30じゃないか!とハリエットはないない、と必死に頭を振る。
いや自分が好きになる分にはまだいいけどスネイプにとっては……あぁでも中身はもう成人済みだし、20歳頃に死んだから実質的に年齢はそう離れては……そう考えたハリエットは前世を振り返る。
果たして自分は彼に少しでも近づけていただろうか。単に歳を重ねているだけではなかったか。いや、と首を振るう。彼はまだ死喰い人だった。それから母リリーの死を隔てて自分の知るセブルス=スネイプになったのだ。
この人生が始まってから他に人に会ってないから錯覚にしているだけだ、そうに違いない、とハリエットは仰向けになり両手で顔を覆った。
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