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これがドール、と探求心に駆られて見ていると、それがわずかに動いていることに気が付いた。まさか、と思うとそれはただ眠っているだけで、壊れている様子はない。半世紀も前に放置されているはずのドールが箱のおかげとはいえ、まるで作り立ての様な埃一つない姿に早く閉めねば、と警鐘が鳴るが、黒い髪を持つドールは人のように見えて、閉じ込めることに戸惑いを覚えてしまう。
これはドールだと、蓋を戻そうとしたところで、スネイプは思わず息をのんだ。ドールが緑の瞳をスネイプに向けていたのだった。深い眠りから覚めた様子で上半身を起こすドールは固まったままのスネイプを見て、それから部屋の中に視線を移す。一緒に詰められていた黒いローブを手に取り、頭から被れば白いばかりの肌がそれで隠れ、様々な意味で衝撃を受けていたスネイプはじっと見つめるエメラルドの瞳を見返す。
「こんにちは」
どれだけ黙ったままだったのか。ドールは困ったように眉を寄せて、目の前の人間にちいさく挨拶をした。まさか喋るとは思っていなかったスネイプは目の前の得体の知れない人形を睨み、杖を構える。
ドールはちらりと杖を見るも壊すならどうぞ、と目をつぶる。何時までも来ない魔法に、再び目を開けたドールはどうしたいのか、と問いかける様に眉を寄せた。黒いローブから覗く手足は細く、人形と言われても一見して分からない。つなぎ目も何もないドールはまるで死体のようであったし、自分で考え動くのもスネイプにとっては十分警戒しうるものだった。
「僕の壊し方は胸のコアを破壊するか、それとも頭を正式な手順以外で分離……破壊するのが一番簡単でしょう。それ以外には傷をつけないでほしいです。痛みというものを感じたくないですから」
コアはここです、とローブの胸元を示すドールは今度こそ死を受け入れる殉教者のように、静かに目を閉じた。それでもなお、動かない男に業を煮やしたのか、ドールは目を開けると何も言わず立ち上がる。それに合わせるように杖先を向けるスネイプに目もくれず、勝手に戸棚を物色すると、ハンマーを手に取った。
いったい何をする気か、勝手に動く人形の動向をうかがうスネイプはそのハンマーが大きく振りかぶられたことに呪文を唱えようとして、振り下ろされた先に衝撃を受けて、再び振り上げられたハンマーを弾き飛ばす。ハンマーが転がる音ともにどさりと倒れこむドールは痛覚があるのか、胸を抑え体を丸めて苦し気に息を吐く。
「いったい何の真似だね」
ようやく口を開いた男にドールは苦痛で顔をしかめながら視線を移す。見下ろす男に委縮したように視線をさまよわせ、目を伏せる。
「すみません、できると思ったんですけど、意外と頑丈で。大丈夫です、時間がたてば直りますから」
次は絶対に、と口に出さないドールにいらだちを覚え、スネイプは動くなと命じると質素なローブをまくり上げた。殴打した胸元はひびが入り、循環用のオイルなのか血の匂いはしない赤いさらさらとした液がにじみ出ている。
レパロ、と唱えてみればひびはふさがり、改めて目の前のドールが無機物であることを確認する。壊さないのであれば自らと考えたドールにとっては訳が分からず、離れていく男をただ見つめる。いつまでも動かないドールにスネイプは眉を寄せ、困惑気に見つめ返す緑の目を見る。まるで本物の瞳のようでいて、そうではないと分かるほどに美しい目に何なのだ、と見つめ合う。
「あの……動いてもいいですか?」
おずおずといった様子で声を上げるドールに、先ほど自分が出した命令が有効だったのかと、すぐに納得して改めてドールを見る。少年がモデルなのか、体は小柄で顔立ちも少年と青年の中間あたりだ。赤くなっている胸はさておき、本物の人間のように胸には淡いピンクの突起らしきものがあり、痩せた体にはへそのようなものがある。そのまま下っていけば人形には必要のないはずの生殖器に似たものがあった。いったい彼を作った老人はどのような意図でこれを作ったのか。頭が痛い思いで、動いていいと命じるとドールは裾を直し、その場でペタリと座り込んだ。
「僕たちは一度目を覚ましてしまうと、もう二度と長期間の休眠モードに戻ることはできません。使役してもらうか、壊してもらうか。それしかないんです」
あなたは後者のようだから、と続けるドールは何かにあきらめたように目を伏せる。得体のしれない人形と暮らすのは正直避けたいところだが、どこか死にたがるようなドールの望みをかなえるのもしゃくだ。どうしたものか、と考えるスネイプは奇妙な音を耳に拾い、罰が悪そうなドールをみる。一日3回のミルクと週に一度の角砂糖。彼らの食事の催促の音だと気が付いたのはほんのり顔を赤くしたドールを見た時であった。
不本意とはいえ、目を覚ましてしまったドールを放置しておくわけにもいかず、日誌にちらりと目を通す。赤ん坊のように人肌ほどに温める必要があることにため息をついて、来たまえと小部屋を出る。
立ち上がり、ついてくるドールはあたりを見回しながらキッチンへと入っていった。
「ミルクはここにある。これから一度だけ手順を見せる故、次回からは自分で用意すること」
ミルクを取り出し、小さな鍋に入れて火にかける。魔法でやれば簡単だが、ドールが魔法を使えるかなど知りもしないし、知る必要もない、と手で作る方法を教える。食い入るように見つめるドールの前にカップに移したミルクを置けば、両手でしっかり持ち静かにのみほす。洗い方まで教えればドールはわかったと頷いて見せた。
温室とキッチンと中庭。そこだけ自由に動いていいと命じる。
シャワーはあの小屋にあるのは確認済みで、ドールも分かったと頷いて見せた。スネイプは起きてしまった以上役立ってもらおうと、温室の管理を任せることにした。管理が厳しいものに関しては触れないようにと言い、よく使う簡単な薬草を育てさせ、状態を見て収穫させる。
消費が激しいものに関してはこれで在庫の心配はなくなる。ドール……ハリーは不満も何も言わず、3杯のミルクと角砂糖で作業をこなしていった。顔を合わせるのはキッチンを往復するときや、温室にものを取りに行く時だけ。
ひどいときは一週間顔を合わせることもない。ハリーはただ、決められた時間に活動し、決められた時間には眠る。そんな代わり映えのない日々を送っていた。
単調な日々だったからか、ミルクを飲もうとやってきたハリーはそれが空であることに気が付いた。だんだんと味が悪くなっていったミルクもついに在庫がきれたと分かりどうするべきか考える。
どうやらこれは自分しか飲んでいないようで、自分が使った分しか減っていなかった。昨日飲んだ時は少し変なにおいがしたな、と朝から体が不調なハリーは容器を流しに持っていき、濯いでからゴミ箱に入れる。
出したカップで水を飲み、洗って温室へと戻った。それにしてもひどく気分が悪い、と飲んだ水さえも吐き出してしまいそうで、堪えるハリーは任された仕事をするべく、ふらふらとじょうろに水を汲んで、立ち上がろうとして視界が暗転する。
ごつっと嫌な振動を頭のほうで聞きながらハリーは意識を失った。
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