トリック・オア…

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 新学期が始まり、新しい授業に慣れてきた10月。名付け親がベールの向こうに消えたことに自分のせいで、と少年は一人寝台で体を丸めていた。もう世間はヴォルデモートの復活を知っている。
 かつての英雄をという声もあるが、ハリーはまだ学生だ。
 憤りと不安と、自身への自責の念で特に雨の日の夜は眠れなかった。ため息をつき、目を閉じるとようやく眠気が下りてきて、ハリーを夢の中に引き込んでいく。

 トリックオア……夢の中で囁くような声が聞こえる。後ろから頭を抱きこんで耳障りな声がささやく。首筋に生温かな吐息がかかる様な気がして、ぞわりと全身が震える。
 ふと、暗い世界に立ち込めた白い靄が一部だけ晴れ、模型が現れた。どこかで見た橋をぼんやり見ていると、時間切れだ、と冷たい声とともに頭を抱き込んでいた冷たい腕が離れていく。


 はっと目を覚ましたハリーは体を起こし、額に流れる汗をぬぐう。ドクンドクンと鳴り響く鼓動が耳の奥で聞こえ、額の傷が心臓を持っているようにリズムをもって痛みを発する。
 頬に触れた長い指の感触がして、乱暴に袖で拭う。首にも、頭にも、感触が残っている気がして、気持ちが悪い。まだルームメイトが寝ていることを確認してハリーはシャワー室へと向かった。

「あら、朝からシャワーでも浴びたの?髪まだ濡れているじゃない」
 大広間に行けばすでにハーマイオニーが座っていて、ハリーはちょっとねと言いながら座る。

「ハーマイオニー、そういうのは黙っておくのがいいんだぞ。ハリー!兄貴たちが男ならそういうことになるって聞いているからわかるよ」
 訳知り顔のロンがうんうん、というのをハーマイオニーとハリーは訳が変わらず首をかしげた。キョトンとするハリーに反応が違かったのかロンまで首をかしげる。

「え?朝のあれだろう?」
 だから着替えるついでにシャワー室に行ったんだろう?というロンにハリーはしばらく考えて、最近になってからルームメイトらでも出るようになったお年頃な男子の会話を思い出し、違うと声を荒げる。にやにやするロンに本当に違うんだというと、いうべきか迷い考えてから口を開いた。

「夢でねとねとした奴に頭からかじられるのを見たんだ。妙に生々しくて気持ち悪くて……それでその感覚を消したくてシャワーを浴びたんだ。悪かったねロン、色恋的な話じゃなくて」
 ヴォルデモートの話をするのは今情勢上よくない。だからハリーはそうじゃないと言って夢の内容をすり替える。ハーマイオニーはロンの期待した“色恋的な話”とシャワーが結びつかず訳が分からないわ、という風だったがロンはうへぇと顔をしかめて、次はいい夢見られるといいなと話を終えた。

「ねぇそれよりも……二人とも新聞を読んだ?ロンドンブリッジが一部崩落したって話。マグルが大勢巻き込まれたみたい。例のあの人の勢力によるものらしいの」
 馬鹿な話してないでほら見て、とハーマイオニーは一部が崩落した橋の写真が一面に載った新聞を二人に突きつける。それを見たハリーははっとして、顔を青ざめた。
 幸いというべきか、ロンもハーマイオニーも気が付いた風ではなく、深刻そうな顔で新聞を見ている。あの橋の形状は、夢で見たあの模型と同じだ。

“トリックオア……”
 そう囁いていた声は冷たく頭の芯を凍えさせる。この言葉で思いつくのはハロウィンのあの言葉だが、もしかしてこれが“いたずら”なのか。いや、そんなはずはない。大体、悪戯のレベルではない。いや、でもこれは奴にとって、ヴォルデモートにとって、ただの遊びの一環ならば……。ただの偶然ということもある。そう、これはきっと偶然だ。

 震えるハリーはその日を上の空で過ごし、怖くて目を閉じることができずにいた。暗い部屋でごそごそというルームメイトらの音が絶えて静かな部屋。もしまた夢を見てしまったら。もしそれでどこかが壊されたりでもしたら。果たして自分は無関係といえるのだろうか。
 寝返りをうつと天蓋の隙間から、ロンのサイドテーブルに置かれた小さなカレンダーが見えた。あとで返そうと、杖を振って呼び寄せたハリーは今日の日付と……ハロウィンの日を確認した。

「あと10日か……」
 何が起きるのか。両親の命日でもあるその日に何があるというのか。適当に杖でカレンダーを飛ばし、ロンのサイドテーブルに落とす。そのままハリーはぐいと毛布を引き上げて頭までかぶった。いつの間にか朝になっていたハリーは夢を見なかったことにほっとして、やはりあれはただの夢だったんだ、と自分に言い聞かせて日常へと戻る。それでも寝る前は少し怖さがあり、寝落ちするまで本を読んだりして寝る時間を削ってみた。


 あれから5日。もう大丈夫だ、それよりもスネイプの授業で出た課題が多すぎて手首が痛い、とハリーはため息をついて久々に自分の意志でもって眠りについた。
 首筋に息を感じ、はっとすると再び黒い世界が白い靄で満たされた空間に居て、ハリーはまさかと思うと、後ろから白い手が現れた。その白い腕は片手を動けずにいるハリーの着ているパジャマの裾を持ち上げ、直接地肌に触れる。もう片方の手は臍のあたりをさまよっていて、ハリーの口から小さな悲鳴のようなものが零れ落ちた。
 たいていのことで悲鳴を上げることはないのだが、その手は明らかな嫌悪感をハリーの植え付け、本能的な警鐘を痛いほどに鳴らし続ける。たやすく抱き込まれることへの忌避感と、まだ芽生えたばかりという性に関する吐き気にも似た激しい拒否反応にどうにか逃げようとするが体は動かない。

「トリックオア……」
 相変わらず最後の言葉は聞き取れない。今度はどこだったか、きれいな聖堂の模型が現れた。ダメ、やめてとがちがちと鳴る歯で懇願するようにつぶやくが聞き入れてもらえない。

「ひっ!」
 ちゅぷ、と細く冷たい何かが吐息とともに耳に入り、ハリーは本能的なものが震えるのを感じて自分でも情けなくなるほどか細い声でやめて、と必死に体をそらす。

「さぁ選ぶがいい」
 耳に入れた舌を動かし囁く声を直に脳へと吹き込まれたハリーは全身が泡立つのを止められず、半ばパニックになったようにやめてと繰り返して動かない体を必死に動かして逃げようとする。胸元をまさぐっていた手と、薄い腹を撫でまわしていた腕がすっと離れていき、ほっとするハリーだが、目の前で模型が破壊されたことにビクリと体を震わせた。





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