who am I ?
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「……以上だ。それでは各自作業を始め。」
静かな地下牢教室に響くスネイプの声に生徒たちが説明された魔法薬を作りに取り掛かる。
これまで何回も繰り返されたホグワーツ1厳しいともいわれる魔法薬の授業。
なんてことはない風景。
ただ、教卓に一匹の黒猫が…それもスネイプにしか見えない黒猫がちょこんと座っていることがこれまでとは異なっていた。
子猫が大人しく座っていることを視線で確認し、生徒の間を歩きながら注意を怠らない。
生徒からすれば黒板の字が見えないために邪魔なのだろうに誰一人その存在に気が付いてはない。
子猫は授業が終わると落胆したようにうつむき、とぼとぼとどこかへ…おそらくは教室の隅へと消えていく。
あれは偶然だったのか、それとも呼ばれたのか。
夜の見回り中にカリカリという小さな音に足を止め、何の音かと見まわした。
音の出どころはすぐに分かった。
壁に爪を立て、時折体で押している小さな影。
壁を必死にひっかく黒い猫がスネイプの足音に気が付き警戒するように振り向いた。
緑色のきれいな瞳が特徴的な猫はスネイプを見ると弱弱しい鳴き声を出し、何も反応がないことにうな垂れるととぼとぼと歩き出す。
壁で爪とぎをする行儀の悪い猫がいないわけではないが、妙に引っ掛かり立ち去る猫を見つめた。
猫は少し歩いたところで足をもつれさせ、崩れるように倒れる。
慌てたように這うような形で壁際に寄ろうとする体をスネイプが抱き上げた。
黒猫で見えにくかったが、猫はあちこち怪我をしてやせ細り、衰弱していた。
誰か世話をしない非道な飼い主がいるのかと考えるがそれにしては何だか妙だ。
抱き上げられた猫が驚いたようにスネイプを見上げ、また小さく‥‥どこか嬉しそうに鳴いた。
意識を失った猫を放っておけず手当てのために部屋に連れてくると、ぐったりとした猫を調べた。
誰かに蹴られたのか触ると痛むらしく体をこわばらせる猫に魔法薬の薬を塗る。
壁をひっかいていた前脚の爪が痛々しく欠けているのに何があったのか、眉を寄せるスネイプは気絶している猫を撫でた。
明かりの下で分かったのは猫はとても小さく、まだ子猫らしいということだ。
ちょっと癖のある黒い毛並みだが、額の一部に小さな痕が残されていた。
古い傷なのか薬を塗っても消えない傷に何かが頭をかすめるがすぐに消えていく。
とにかくこの猫が目を覚ましたら食事を与え、放置した飼い主を探さなければ、と額以外の傷が消えた猫を優しくなでた。
翌日、柔らかな食事を差し出すと猫は顔が汚れるのもかまわず勢いよく食べ始め、あっという間に完食した。
器に残った痕跡さえも残さないようにぺろぺろと小さな舌で舐める姿にどれだけ食べていなかったのだろうと、耳を撫でつけるように小さな頭をなでる。
ちょうどそこへノックの音が聞こえ、朝からすみません、という生徒の声が聞こえた。
クィディッチチームキャプテンが朝の練習で一人怪我をしたことを報告するのを受けて小瓶を渡すスネイプはそうだ、と猫をちらりと見た。
「昨晩衰弱した子猫を拾ったのだが、誰か心当たりはあるかね?随分ひどい扱いを受けていた。まさか我が寮ではないとは思うのだが。」
「猫…ですか…。僕の学年では何人か猫を飼っていますが…どんな猫でしょうか。」
机に乗ったままの黒猫がじっと見つめる中、チームメイトにも聞いてみますと返すキャプテンにスネイプは内心眉を寄せて緑の目の黒猫だ、と視界の端に猫を入れて答える。
「にー…。」
「あぁ結構小さい猫なんですね。わかりました、ルームメイトらにも声をかけておきます。」
小さく鳴いた黒猫ではなく、奥の扉に目を向けるキャプテンはそういうと薬ありがとうございますと退室していった。
「まさかお前…他のものには見えていないのか?」
触れればちゃんと実体のある子猫を見て問えば猫はうつむいて小さく鳴いた。
魔法動物学の教員のもとへと持っていくと、彼にも見えないらしく、それでも手に触れることに何の魔法生物だろうかと首を傾げられた。
「確かに実体はありますが…触った感触では普通の猫のようですね。手で探った大きさから…生まれてからまだ半年頃っとこかな。」
手探りに触れるのを子猫は迷惑そうにしながら我慢している。
性別は、というのに手を振り切り、走って戸棚の陰へと身を隠してしまった。
「昨日の治療したときに雄猫であることは確認している。」
逃げた猫はスネイプの言葉ににーにーと抗議するように鳴き、掴もうとするスネイプの手を押し返す。
杖をふるって動けなくされたところを捕まり、スネイプに抱えられると猫はどこか不機嫌な様子でじっと睨みつけた。
正体がわかるまで姿が見えるスネイプが預かることになり、私室へと連れてこられた。
授業中教卓の上に座るのはどうやら自分の姿が見える他の人を探しているらしく、今日でほぼすべての授業を見終えた。
通り抜けていく視線にうなだれて、スネイプの仕事が終わるのを部屋の隅でじっと待つ。
うなだれる猫は緑色の瞳を潤ませ、尻尾も耳もぺたりと下がっていた。
妙に言葉を理解し、人間のようなふるまいを見せる猫にスネイプとしては嫌な可能性に眉を寄せる。
念のためにと授業を開始する際生徒の数を数えているが、選択制の上級生で受けてない生徒はともかく受け持ちの生徒は誰も欠けていない。
次で受け持ちの生徒は全員だ、とすっかり元気をなくした子猫を抱き上げる。
姿が見えるのは自分だけ、ということにどこか特別めいたものを感じ、スネイプは猫の小さな頭をなでる。
はじめは一挙一動に警戒していたが、今はスネイプに抱き上げられることにも慣れ、なでられているうちにぐっすり眠ることもある。
今もまたなでられているうちにまどろんできたのか、腕の中で眠りに落ちていった。
猫が起きたのは最後の授業…グリフィンドールとスリザリンの合同授業だ、
猫は教卓に飛び乗るとじっと部屋を見まわす。
ふと何かが気になったのか、生徒の間を歩くスネイプの後を追うように飛び降り、グリフィンドールの席へと走っていく。
女子生徒…ハーマイオニー・グレンジャーのそばに行くが、見上げようとして慌てて目をそらし、隣にいるロン・ウィズリーの裾を引っ張る。
ん?と見下ろすロンにはやはり見えなかったようで、気のせいかなと視線を戻す。
なおも引っ張る猫になんだろうと裾に手を伸ばし、見上げる猫に触れる。
「え?なにこれ。なんかいる?」
驚いたようで一歩下がると隣にいるネビル・ロングボトムの足を踏み、ひゃっという悲鳴が上がる。
「何しているのよ…。」
あきれた様子のハーマイオニーはふと視線を落とすと眉を寄せ、猫をじっと見つめる。
ネビルの鍋から焦げたにおいがしたのに気が付き、かがむと猫を拾い上げ、火から離れた机に置いた。
見えるのかと驚いて見つめるスネイプとハーマイオニーは視線を交えた後、手早くクラスで一番できのいい魔法薬を作り出した。
片付けを始める生徒らの提出物をグリフィンドールには嫌味を、スリザリンには助言を与えまとめるスネイプは最後まで残っていたハーマイオニーの成功している提出物を黙って受け取った。
「スネイプ先生、先日のレポートについて伺いたいことがあるのですがこの後お時間よろしいでしょうか。」
聞きたいことがあると友人であるロンたちを先に返し、はっきりと告げる彼女にやはり見えているのか、とどこか嬉しそうな猫を視界にいれ、了承を返す。
「授業中、ロンの足元にいた…猫ですが…。」
座っているスネイプの足をよじ登り、教卓に鎮座する猫に目を移すハーマイオニーはゆっくり猫へと手を伸ばし、ぎこちなくなでる。
その様子にスネイプは眉を寄せた。
「はっきり見えるわけではないのかね?」
「えぇ…ちょっと輪郭が見える…という感じです。」
スネイプの問いかけにこたえるハーマイオニーの答えに、嬉しそうに揺らしていた尻尾をぴたりと止めた猫は小さな鳴き声をあげる。
「この猫は先週の見回りの際、衰弱していたのを保護したのだ。はっきり見えるのは我が輩だけというわけか。」
うなだれてしまった猫の頭を慰めるようになでるスネイプにハーマイオニーは驚いたように眉を上げた。
猫は今まで以上に落ち込み、本来猫が零すはずのない涙が2粒零れ落ちる。
「…スネイプ先生、グリフィンドールのシーカーは誰でしょうか。」
何かを必死に考えるハーマイオニーは悲し気な猫を見て、つぶやくように問いかける。
突然何の話だと眉を寄せるスネイプだったが、はっと猫を見下ろした。
ずっとグリフィンドールは戦績の悪い上級生がやっていた…はずだ。
だが、近年は勝っていたはず。1年生シーカー。そうだそんな風に呼ばれていたものがいたはずだ。
だが、どんなに考えても名前も姿も思い出せない。
思い出せないのだ。
「今日の夜、校長が戻られる…。」
「私、だれか同じように覚えていないか、聞いてきます。」
魔法生物学の教員に問いかけた時に副校長であるマクゴナガルに報告すべきだった、と自分自身に対し苦虫をつぶしたように顔をしかめ、猫を見下ろす。
ショックで何も聞こえていない風の猫のすがたが一瞬ふわりと輪郭を失った。
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