丘の上の人魚

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 ばしっという音と共に、吹き飛ばされた男が倒れた先で何かの袋を破き、中身が宙に舞う。
漂うものに視界が奪われる中、魔法使いだったのかという声とともに抜かれた杖をかいくぐり、外へと転がり出る。
走る度に少し胸元に痛みを感じ誰か、と声を出したいのに声は出ない。
なぜか額が痛みを訴えるがそれを無視して、後ろからくる足音にがむしゃらに走り続ける。
目の前にやっと明るい所を見つけ、飛び込んだ。

 死んでから甦るまでの約14年。マグル達の生活に変化は見られないが、
表に暮らせない厄介者などの魔法使いの中で手駒に使えるものはいないか。
そう考えてヴォルデモートはロンドンの裏路地を歩いていた。
それに、マグルらの生活は数年もあればどんどん変わるだけに、実際に見てその差異を確認し、
利用できるものはないかということも確認しておきたかった。こういう時に死喰い人はまるで役に立たない。

 貴族の連中もマグルの格好をさせればどこか奇妙なものもままある。
マグルはとにかく厄介なことに、少しでも奇妙な格好をしようものならばすぐにそれを見つけて注目しだす。
だから、と路地を歩く姿は大通りに出てもちらりと一瞥される程度にはまともな格好をしていた。
魔法省らにでしゃばられても面倒だ、と帽子をかぶり、黒いジャケットと同じく黒いパンツスタイルで歩く姿は
魔法使いなどよりも、裏社会のマグルか、詐欺師か。そういう手合いに見えなくもない。

 さびれた裏路地からはノクターン横丁の様な、そんなほの暗い気配が澱みの様にそこらにたまって蠢いていた。
今回は特に大した収穫もないな、と踵を返そうとしたところで軽い足音に気が付き、足を止めた。

「っ!」
 細い小道から飛び出してきた人影はまともにヴォルデモートにぶつかり、跳ね返って尻もちをつく。
慌てて立ち上がる黒髪の人間は顔を上げて、自分を見下ろす赤い眼を見つめて顔を青ざめさせた。
じりっと下がろうとするが、小道からはどたどたと低能な足音が聞こえて怯えた緑色の瞳を左右に見渡す。

「どこ行きやがった‼」
 どなる声にびくりと体を震わせる細い腕をヴォルデモートは黙って掴み、背後の木箱の影に押し込んでその前に立つ。
「動くな」
 はじかれた様に逃げようとするのを気配で感じ、有無を言わさない強さで背後に向かって命じる。
やがて細い小道から二人の男が出てきて、あたりを見渡した。
小汚い男たちと違って身ぎれいにしている男に気が付くが、深くかぶった帽子から覗く赤い眼に正体不明の恐れを覚え、
あっちを探そうと足早に消えていく。

「まだ動くな」
 様子をうかがおうとするのを再び封じると、ほどなくして男たちが戻ってきた。
「ちくしょう……せっかくいい顔していたのにまさか魔法使いだったなんてな」
「ノクターンで高い金出して手に入れた薬、お前がしっかり確認しないからだ」
 杖の有無ぐらい確認しやがれ、と悪態をつきながら去っていく。ようやく気配が消えると、ヴォルデモートは杖を振るい、
木箱を変形させて逃げ場をなくす。

「さて、マグルではないな」
 木箱の影に隠れていた少女は顔をこわばらせて、逃げ場はないかと、緑色の瞳を動かし隙を伺う。
14歳前後といったところの少女が手に持ったままの杖を構えようとしたところで、
ヴォルデモートはもう一度杖を振るって両手を縛り上げ、どこぞのビルの壁に押し付ける。
睨む少女にヴォルデモートはニヤリと笑みを浮かべて、杖で首元を挟むように壁に手をつく。
もう片方の手で俺様を見ろ、と顔を上げさせれば少女は震えながらもじっと睨みつけてきた。
唇が〝ヴォルデモート〟と動くが音は出ない。

「先ほど薬がどうとか聞こえたが……そうか、声を封じられているのだな」
 杖で喉元をなぞる様にすれば、少女はますます恐怖でその瞳を振るわせ、こくりとつばを飲み込む。
その震えと、喉の動きを杖越しに感じヴォルデモートはぞくりとした優越感にさらに笑みを深める。

「俺様の名を知っているということは……ただの魔女でもないようだ。だが見た限りの年齢であるのならば、俺様が誰か知っているというのは妙な話だ。さて……どこで知りえた情報なのだろうな」
 14年前死んだとされているはずの闇の帝王が今生きていることに、
疑問を抱いている風ではない少女にそう問いかければそこで自分の失態に気が付いたのか、少女は縛られた腕を震わせる。

 柔らかく波を打つ黒髪は短く、眼鏡の向こうに緑色の瞳を覗かせる少女はまだ諦めきれずに逃げ道を探すが、
ヴォルデモートの両手と壁に阻まれどうすることもできない。
震えながらも睨む少女は何か言いたいのか、唇を震わせるが声を封じられているせいだけでなく、
たとえ声が出せる状態でも恐怖で出せないだろうと考え、少女の頬に置いた手を滑らせ細い喉元に触れた。
小刻みに震える喉がその推測が当たっていることを裏付け、今この者の命は自分の手の中だ、
とヴォルデモートは興奮気味に瞳の色を一層赤く染め、浮かべていた笑みを静める。

「死喰い人の家族という可能性もなくはないだろう。名は? 唇の動きでわかる。正直に名乗るのだ」
 さらりと、少女の髪を耳にかけ問いかけるヴォルデモートに、少女はどこか心あらずといった様子で唇を震わせながら【ハ】と言い……
はっとしたように【ハンナ】と唇を動かした。自分に言い聞かせるようにハンナ、と繰り返す少女……
ハンナにヴォルデモートはくつくつと、喉の奥でかみ殺しきれなかった、といった音を出し、なるほどと頷く。

「ファミリーネームを名乗らないということは俺様の配下にその名がないということか。俺様は今とても気分がいい。どのような薬を飲まされたのかわかるか?」
 開心術をかけなくとも相手の思考が読み取れ、ヴォルデモートは上機嫌で問いかける。
ハンナは自分が犯した2つ目の失態に気が付いたのか、悔し気に唇をかむと分からないと首を振る。
おそらくは何が自分に起きているのか、本人も把握できていないのだろう、とヴォルデモートは考え……面白いことを思いついたと再び笑みを深めた。





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未来な静かな水面に揺らめいて

 夏休みを迎え、いつものプリベット通りには帰らず、去年の夏過ごしたブラック家の屋敷にやって来たハリーは、蛇に変化していたヴォルデモートが元に戻ったのを見て、腕に抱いていた赤ん坊を渡す。
 
 お前に部屋なんて割り振らないとヴォルデモートに言っていたシリウスを横に押しのけ、去年の夏にハリーが使用していた部屋にベビーベッドを置いたことと、元々寝台は広いからそのまま二人で使って、とルーピンが屋敷に着いたばかりのハリーと、その体に巻き付いた二匹の蛇に伝えていた。
 ナギニはともかく、ヴォルデモートは当然だ、とばかりに頷き、部屋の安全を確かめる様にナギニとともにその部屋へと先んじていた。

あ とから運ばれてきたカートを開き、学校から持って帰った荷物を広げるハリーを横目に、ヴォルデモートは腕に抱いた赤子を小さな柵付きのベッドに寝かせた。
 かつて……赤ん坊だったハリーを襲った際もこのような柵に入っていた、と思い出す。
ごちゃごちゃした部屋だと、そう思っていたあの部屋はベビールームというやつだったのかと今更になって知ったヴォルデモートはじっと自分を見つめる幼い緑の眼にざわりと胸の奥が揺らいだ。


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◆目次◆
・丘の上の人魚
 本編(WEB公開中のを加筆修正 闇の帝王成分を小匙程度増量

・小さな女帝と、元闇の帝王
 短編(WEB公開中のを加筆修正)

・少女と組み分け帽子
 短編 書き下ろし

・蛇の団欒
 短編(WEB公開中)
 
・未来は静かな水面に揺らめいて
 短編 書き下ろし






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